30回
2024/12 訪問
雅なる一献、緑なる余韻
「ご飯のおかずでお酒を飲む」。それは単なる食事ではなく、酒と料理が織りなす小さな物語である。そんな一夜を求め、今日は居酒屋の暖簾をくぐった。選んだのは、ハンバーグと鰤の照り焼きという、一見して定番ながらも奥深い組み合わせだ。
まずは三重県の名酒「作・雅乃智」を注文する。淡麗で軽やかなこの酒は、ふっくらと焼き上がったハンバーグに見事に寄り添う。ひと口頬張れば、肉汁が舌の上で弾ける。それを「作」のすっきりとした後味がさらりと流してくれるのだ。この瞬間、酒と料理の調和が一つの完成形を見せた気がした。
次に手を伸ばしたのは鰤の照り焼きだ。甘辛いタレがたっぷり絡んだ鰤の脂が口に広がると、「作」ではその風味の力強さに若干押される感覚があった。そこで選び直したのが愛媛県の「石鎚・純米吟醸 緑ラベル」。柔らかな甘みとコクを持つこの酒は、鰤の濃厚な味わいを引き立てつつも、余韻でその存在感をしっかりと残す。酒が変わると、料理の表情もまた一変するのだと気づかされた。
居酒屋の賑やかな空間で、おかずと酒が織りなすハーモニーを楽しむ。この時間は、ただの飲食ではない。酒と料理の相性を探る旅であり、その瞬間ごとの発見が紡ぐ物語だ。「ご飯のおかずでお酒を飲む」。これ以上の贅沢があるだろうか。
2024/12/03 更新
2024/11 訪問
燗の向こうに揺れる想い
寒さが肌にしみる季節、それでも手に取るのは冷酒だ。冷たさが喉を滑り落ちるあの感覚。口の中を駆け抜けるキリリとした鋭さは、まるで清冽な山間の風。飲むたびに思い出すのは、夏の夜に吹く涼やかな風鈴の音。だから、冷酒を選ぶのは自然なことだった。
けれども、人にはふとした時に心の奥底を揺らす瞬間がある。寒い夜の中、不意に燗酒が恋しくなるのだ。湯気の向こうに漂う香り。その香りには、なぜか幼い頃に嗅いだ土間の匂いや、囲炉裏の火のぬくもりが重なる。普段は冷酒の世界にいる自分が、なぜ燗酒に惹かれるのか。その答えを考えることすら、酒席の一興と言えるだろう。
ただ、燗酒には不慣れだ。銘柄を眺めても、どれを選ぶべきかわからない。だからいつも「おまかせで」と言うほかない。店主が見立ててくれる一杯。その酒に込められた物語を想像しながら盃を傾けるのもまた乙なものだ。
燗酒があると、合わせる肴も変わってくる。酸味が際立つマリネもいいし、冬ならではのおでんも恋しい。味が染みた大根をほおばりながら熱い酒を一口。そうして、酒と肴が互いにその魅力を高め合う様子は、まるで古い友人同士の語らいのようだ。
もし「冷酒と燗酒、どちらが好きか」と問われたならば、答えは冷酒だろう。だが、心を芯から温めてくれる燗酒の魅力を知った今、答えには少しだけ迷いが生じる。湯気の向こうにある一杯。その温もりは、日常から少しだけ足を踏み出した、特別なひとときなのだから。
2024/11/25 更新
2024/11 訪問
無音の世界が溶ける時
一人暮らしをしていると、時折、日常が不思議と機械仕掛けのように感じられることがある。朝から晩までパソコンの前に座り込み、ネットを介した会議やメッセージにひたすら没頭する。それはまるで、無音の世界に自らを閉じ込めているかのようだ。業務上必要な声しか発さない日もあり、そんな日は特に、自分がただ情報の中を漂う存在のように思えてくる。
だが、一日の終わりに、どこかで人の気配を感じたくなって馴染みの小料理屋へと向かう瞬間がある。のれんをくぐると、香ばしいだしの香りが鼻をくすぐり、控えめな灯りが心の奥に潜む暗がりをそっと撫でてくれる。客で賑わっている日には、人々の話し声に包まれながら、自分の存在を曖昧にしつつ、ただ料理を味わう。それは、流れが止まっていた時が再び動き出すような感覚だ。
一方で、静かな日に出会う女将や大将との会話は、妙に心地よい響きを持つ。何気ない天気の話や季節の移ろいに関する話題に、言葉が持つ温もりを感じる。それは私に、凍っていた内側がゆっくりと解かされていく感覚を教えてくれる。
帰り道、冷たい夜風に身を包まれながら「これでよかった」と呟く。一見すると平凡な一日だが、最後に訪れた人の温もりが、私の中に小さな痕跡を残していく。その余韻こそが、人として生きている確かな実感となるのだ。
2024/11/08 更新
2024/11 訪問
通常利用外口コミ
この口コミは試食会・プレオープン・レセプション利用など、通常とは異なるサービス利用による口コミです。
想定外のお酒と酩酊した宴
最近、日本酒のイベントが妙に増えているように感じるのは、単に自分が意識するようになったからなのか、それとも何か別の理由があるのか──そんなことを考えながら、この店で定期的に開催されている『日本酒の会』に足を運ぶこととなった。店主と店員が丹精込めて選び抜いた銘酒たちを前に、何かしらの秘密が隠されているような気配が漂う。
その夜の主役は、佐賀県に蔵を構える冨久千代酒造の『鍋島』。重厚な歴史と共に醸し出される一滴一滴が、まるで何か語りかけてくるかのようだ。店主が各銘柄について語る解説は、まるで酒に秘められた物語を紡ぐかのように流れる。その言葉に引き込まれ、参加者たちは一心不乱に鍋島の奥深さに浸っていく。
ところが、進行が進むにつれて、事件は思わぬ形で動き出した。調子に乗った店員が「本日は特別仕様です!」と宣言し、予定外の酒を次々と差し出してくる。これには、最初は微かに違和感を覚えていたはずの客たちも、気づけば杯を重ね、意識の中で酔いが渦を巻く。味わいの微細な違いを楽しむどころか、会場はまさに混沌とした陽気な酩酊の場へと変貌していく。
最終的に、笑い声と乾杯の音が入り乱れる中、店内はただの賑やかな宴会場と化していた。何が現実で、何が酔いによる幻想なのか──それすらも定かではない。ただ、ただその場にいる人々は日本酒の魔力に心地よく取り込まれ、終わりなき余韻の中で夜を過ごすのだった。
2024/11/11 更新
2024/10 訪問
旅路の終わり ~もうひとつの『ただいま』~
青森での出張を終え、なじみの居酒屋に足を向けたのは、ふと込み上げる不思議な感覚があったからだろうか。家に戻る前に、誰にも邪魔されない静かなひとときを味わいたくなったのだ。夜も遅く、暖簾をくぐると、静かな店内には淡い灯りがともり、訪れる者をそっと迎え入れてくれる。ここは決して初めての店ではないが、気負うことなく安らげる数少ない場所のひとつだ。
カウンターに腰を落ち着け、目の前に片口に注がれた日本酒を受け取る。静かな流れで酒をぐい呑みに注ぎ、一口含むと、その味わいが疲れた身体にじんわりと染み込んでいくのがわかる。運ばれてきたおばんざいや一人鍋は、母の手料理とは異なるが、どこか懐かしく、幼少期の記憶をほんのりと思い起こさせるものだった。手に馴染む器と、しみじみとした味わいに、思わず息をつく。
そして、ふと口をついて出たのは「ただいま」だった。家ではないが、なぜかその一言が心に浮かんだ。長い旅路を経て、この静かな居酒屋が、自分にとってのもうひとつの「帰る場所」になっていたのかもしれない。
2024/10/29 更新
2024/10 訪問
年下の上司と出張先の盃に映る影
前職で若くして出世した私は、当然のように年上の部下が多かった。しかし、彼らとの接し方には常に悩みがつきまとった。経験が豊富な彼らに対して、どのように振る舞うべきか、言葉を選び、態度を整えなければならなかった。特に、食事に誘うなどという行動は、気が引けてしまう。だからこそ、彼らとの距離は縮まらず、業務以上の関係に進展することはついぞなかった。
だが、転職を機に状況は一変する。新しい職場では、人生で初めて年下の上司がついたのだ。初めの頃は、どう接すればいいのか戸惑い、どこかぎこちなさが漂っていた。しかし、時間が経つにつれて、少しずつその関係性にも変化が現れ始めた。お互い出張が多く、共に過ごす時間も限られているが、スケジュールが合えば「今晩、軽く一杯どうですか?」と彼が誘ってくれることが増えた。
ある夜、その誘いを受け、二人で飲みに行くことになった。私はいつものように日本酒を、彼は焼酎を注文する。カウンターが埋まっており、この日はテーブルで。私は冷酒の透明感のある味わいを楽しみ、彼の焼酎から立ち上る香ばしい香りが鼻先をかすめた。お互いに異なる酒を楽しみながら、気がつけば話題は仕事だけでなく、趣味やプライベートへと自然に移り、笑い声が飛び交う。
その夜、気づかされたのは、年齢や役職に囚われず、ただ一人の人間として向き合える時間の心地よさだった。不思議な感覚だ。いつしか私たちは、肩書や年齢差を越えて、本当にリラックスした時間を共有できるようになっていたのだ。
2024/10/21 更新
2024/10 訪問
味と絆が紡ぐ時の流れ:カウンター越しに変わる関係
かつて同じ職場で共に働いていた彼女が、ある日「自分の料理店を開く」と言った。その時の彼女の眼差しは、いつもの仕事中に見せる表情とはまるで違い、何かを決意した強い光を帯びていた。それが単なる夢物語ではなく、現実のものとなったのはそれからしばらく経った後だ。彼女は確かに、小さな料理屋を開店させた。開店祝いを兼ねてその店に足を運んだ日、カウンター越しに彼女が料理に向き合う姿を見た瞬間、かつての同僚だった彼女とは異なる、別の一面が現れたように思えた。料理に対する真摯な姿勢、そしてその一皿一皿には彼女の心そのものが宿っていた。
最初はただ、応援の意味で店を訪れていた。それが次第に、彼女の料理そのものに惹かれ、いつの間にか会話のひとつひとつが楽しみになっていた。カウンター越しに交わす言葉は、最初こそ仕事の延長線上にあったが、やがてそれは個人的な話へと変わり、私たちはお互いのことをより深く知っていくようになった。ただの「お客と店主」という形式的な関係ではなく、友人としての絆が育まれていったのだ。
この日、彼女に頼んでおばんざいを中心にしてもらい、普段ならたどりつかない〆メニューにまでたどり着いた。料理店という舞台は、彼女との関係をただの同僚から友人へと変える特別な場所になったのだ。
2024/10/09 更新
2024/09 訪問
再会 〜 友と酒が紡ぐ特別な夜の記憶
遠方より友来る。もう10年以上も付き合いが続いている彼だが、なぜかこれまで一緒に酒を酌み交わす機会はなかった。出張先で顔を合わせても、何故か飲みに行くことは一度もなかったのだ。それが今回、初めて共に酒席を設けることになった。
ゆっくりと話がしたかったため、カウンターではなくテーブルを選んだ。テーブル席は、オーダーや料理の提供に手間がかかる。今回はあえて料理は値段だけを伝えて、おまかせにしてみた。飲み物については、わがままを言って持ち込みを許してもらった日本酒。普段、自宅ではほとんど飲むことがないため、頂き物を消費するにはこうでもしなければならないのだ。
料理は、刺身の盛り合わせ以外はすべて女将のチョイス。特に気に入っているおばんざいは、しっかりと盛り込まれていた。これも、頻繁に頼んでいることを知っているからこその配慮だろう。
日本酒は長野のものと青森のもの。予期せず料理との相性は良い。飲み進めるごとに会話も自然と弾んでいった。食事と酒、そして友との時間。これまでにない特別なひとときが、まるで長い時の流れを越えて、ようやく実現したかのように感じられた。
2024/10/03 更新
2024/09 訪問
ちょい飲みもがっつり飲みもOK!新店で味わうこだわりの日本酒タイム
今年3月にオープンしたこの店は、どこか歴史を感じさせる佇まいだ。おばんざいを肴に軽く飲むも良し、しっかりとしたおかずを頼んで腰を据えて飲むのもまた良しだ。日本酒は種類こそ少ないものの、そのラインナップには深いこだわりがあることが見て取れる。仕入れ先は中山?、はたまた今仲?。
酒器にも一言触れておきたい。この価格帯の店としては驚くほどの品揃えで、選ぶ楽しみがあるというのも評価できる点だ。この日、ついつい杯を重ねてしまい、最終的にはこの価格になったが、普段なら2000円ほど安く収まることだろう。だが、そんな日常の違いさえも、この店の魅力の一部なのかもしれない。
2024/09/20 更新
開店以来、足繁く通っていた「彩日」。その魅力は、店主が作る温かい家庭の味と、人を包み込むようなもてなしの心。仕事帰りの私を癒してくれる、この店はまるで隠れ家のような存在だった。しかし、最近は出張や仕事の忙しさが続き、しばらく顔を出せずにいた。
久しぶりにのれんをくぐると、「お久しぶりです」という店主の明るい声が響く。思わず、「そんなに久しぶりだろうか」と首をかしげながら、カウンター席に腰を下ろした。いつものメニューを開き、おばんざいとお造りを肴に冷酒を注文する。舌の上でほぐれる料理の味わいは変わらず優しく、冷たい酒が喉を滑り落ちるたび、疲れた体と心がゆっくりと解けていく。
杯を重ねる中、ふと「久しぶり」という言葉が頭をよぎる。時間の感覚というものは主観的なものだ。それは店主にとっても同じこと。この店での時間は私の中で心地よく流れ、少しでも間が空けば、それは「久しぶり」になるのだろう。
最後に注文した肉料理が運ばれ、香ばしい香りが鼻をくすぐる。柔らかい一口に噛みしめるのは、食事の幸せだけではない。店主に覚えられ、待たれていたという温かな気持ち。どれほど忙しくても、帰れる場所があるという事実。
「お久しぶり」という言葉は、私がこの場所に愛されている証でもあったのだ。柔らかな灯りの中、私はまたこの店に通う日々を心に描きながら、夜の帳に溶け込んでいった。