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初めて訪れた際、その広々とした快適な空間と、洗練された工房のようなデザインに、午後のひとときをゆったりと過ごせることへの期待が高まりました。和菓子はどれも丁寧に作られており、あんこの甘さは控えめで、外皮の米や小麦の食感も繊細。目の前で作られた出来立てをいただける贅沢感があり、お茶とセットで660円という価格も非常に良心的です。湘南から御殿場を経由して河口湖に向かう日帰りドライブの途中、ひと休みにぴったりの立ち寄り処と言えるでしょう。 ただし、惜しく感じたのは、提供される甘味や飲み物の選択肢が少ない点です。これだけ広く、美しく設計された施設であれば、もう少し多様なメニューや楽しみ方があってもよいのでは、と正直思いました。また、座席のレイアウトにもやや違和感があり、テーマパークのフードコートのような一体感のなさと圧迫感があったのも残念な印象です。景観を楽しめる場所ではあるはずなのに、15分以上滞在したくなるような強い魅力が見つけられなかったのは、個人的には少し物足りなさを感じるところでした。
2025/04訪問
1回
何度も通ってきた店だが、正直なところ、来るたびに失望が増している。サービスの質は明らかに落ち、看板である海鮮丼も、もはやその価格に見合う内容とは言い難い。一方で、丼に付いてくる魚のあら出汁だけは、以前と変わらず本来あるべき水準を保っているのが皮肉だ。 店内にほとんど客がいない状態で入店し、周囲には通常のテーブル席が空いていたにもかかわらず、靴を脱いで入る一番奥の席へ案内された。その席は意味のない半個室仕様で、ちょうどスタッフが頻繁に行き来する動線を遮る位置にある。席についてからも違和感を伝えたが、変更は受け入れられなかった。結果として、食事中に何か頼みたい時は、体を乗り出して手を挙げ、大きな声で呼ぶという、非常に気まずい姿勢を強いられることになる。それでも最後まで水は一杯も出されず、飲み物を頼んだ同行者にだけ一度提供されたきりだった。 肝心の海鮮丼はというと、写真では一般的に想像するサイズに見えるが、実物は深さのある普通のご飯茶碗程度で、口径は私の手よりも小さい。そのサイズで、一般的な海鮮丼と同等の価格設定。写真に惹かれて入る観光客の存在がなければ、経営は厳しいのではとすら思ってしまう。都心・東京で同等の価格帯でも、もっと満足度の高い一杯は普通に存在する。 ネタの品質も、決して悪くはないが上質とは言えない。特にウニはやや状態が悪く、魚も近隣港の新鮮な地物とは感じられなかった。予算を料理そのものより、写真撮影にかけ過ぎているのではないか、という疑念すら浮かぶ。 思い返せば、初めて訪れた二年前は、蜘蛛蟹を食べた記憶がある。当時は価格も一万五千円を超えることはなく、サービスも丁寧で温かかった。蜘蛛蟹は活けの状態から調理され、その体験自体が魅力だっただけに、今の変化が余計に残念に感じられる。
2026/01訪問
1回
西伊豆の高台から富士山を望むと、まさに1枚目の写真のような景色が広がる。そう、このカフェはロープウェイでしか辿り着けない山頂に位置している。ネットで見た写真に惹かれて訪れたが、その景色に対しては愛情と失望が同時に残った。 ここは伊豆パノラマパーク。ロープウェイの往復料金は一人3,500円。最初の4枚の写真はいずれも実際の景色で、スマホ撮って出しだ。連なる山々、正面に鎮座する富士山、そして眼下に広がる湾――富士山に期待する要素はすべて揃っていると言っていい。 しかし、問題はその景色を楽しむために立ち寄ることになる山頂のカフェだ。店内に入り、スタッフが背後のマシンで無造作にボタンを押して出してきたコーヒーは、苦味と渋みしか感じられない、明らかに質の低いものだった。700円という価格に対して、ひと口飲むごとに後悔が積み重なる。飲まなければ飲まないで、目の前の絶景まで居心地の悪いものに感じてしまうのがつらい。 これほど恵まれたロケーションでありながら、コーヒーを真剣に作る気が感じられない運営には、ただただ残念さと怒りが残る。景色そのものは間違いなく素晴らしいだけに、その価値を自ら損なっているように思えてならなかった。
2026/02訪問
1回
これまでの訪問では正直そこまで強い印象を受けなかったのですが、今回はまさに“覚醒”したかのような感動の連続。季節の巡りとともに、料理人の真価が際立つ一夜でした。静岡の地の恵みをこんなにも丁寧かつ美しく味わわせてくれるとは——驚きと喜びに満ちたコース。 軽く炙られた透明感のある帆立は、シャキっとしたアスパラガスと合わせて口の中で絶妙なバランスに。続く金目鯛は、皮目がまるでカラメルのように艶やかに仕上げられており、ひと口で目が覚める美味しさ。そして、締めの桜海老ご飯に使われた艶やかな米粒は、目でも舌でも楽しめる贅沢な一皿。どの料理も「淡いのに物足りなさがない」「鮮やかだけど塩辛くない」——まさに洗練された“ちょうどよさ”が貫かれていました。 ラストの柑橘羊羹とカステラの甘みは、まるで初夏の風が口の中を吹き抜けるような清涼感。カステラは甘さ控えめながら、コクと香りがしっかり感じられ、まさに“あと一切れほしい”逸品。なのに追加不可だなんて…これは小さな大きな残念ポイントです。 ちなみに合わせた日本酒も、後から調べてみたら店から徒歩5分圏内の酒蔵のもの。地元愛とストーリーを感じる、記憶に残る一食でした。 禅の趣を感じさせる店名を冠する名店。静謐な空間、美しく整った雰囲気、そして凛とした所作で料理を振る舞う主人の姿勢まで、そのすべてに一本筋の通った美学が感じられました。2万円ほどの価格で、まさに「懐石料理」と呼ぶにふさわしい体験を提供してくれる一軒です。 料理は主人の姿と同様、端正で簡潔。盛り付けの美しさには随所に細やかな意図が見て取れ、料理への真摯な向き合い方が自然と伝わってきます。その真剣な佇まいに惹かれ、私は思わず調理の一挙手一投足を見つめてしまいました。 一方で、味わいにおいてはやや期待とのギャップを感じたのも事実です。全体的に調味は非常に穏やかで、「素材の持ち味を生かす」という店の方針そのものだとは理解しつつも、それが私にとっては少々平坦に感じられました。例えば塩を客側に委ねるスタイルでも、素材がそこまでの鮮度や旨味を主張してこなければ、その意図が活きない場面もあります。 また、期待していた季節の味覚もやや控えめ。蟹の風味は繊細すぎて印象に残らず、お造りも前夜に訪れた別の懐石店での鮮烈な体験と比べてしまうと、静岡の地魚のポテンシャルを活かしきれていない印象が拭えませんでした。里芋もまた、外の衣がやや重く、中の甘みももう一歩。さらに、写真にもある焼き魚は火入れがやや強く、身はややパサつき、皮は香ばしさに欠けていたのが残念でした。 しかし、それでもなお、再訪を心から楽しみにしています。というのも、料理に対する真摯な姿勢と緊張感、誠実な佇まいがこの店にはしっかりと根付いており、それだけで十分に信頼に値するからです。次回は、味わいの完成度も含め、さらに一段階深い体験ができることを期待しています。