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Quintessence|カンテサンス(東京・白金) ― 完成された時間に、少しだけ追いつけなかった夜 ― 東京・白金。 その夜、私は「静寂が音を持つなら、こういう店なのかもしれない」と思った。 カンテサンスの個室。 研ぎ澄まされた空間、 ほとんど無音のやりとり、 そして運ばれてくる料理たちは、すべてが 「一切の無駄を持たない芸術」だった。 ⸻ ◆ 写真は撮れた。でも、心には残っているのに、カメラロールには見つからない。 奇跡的に、個室で写真を撮ることが許された。 ちゃんと撮った。たしかに、あの白い皿も、灯りも、空気感も。 …けれど、いま、どこにあるかわからない。 カメラロールのどこかにはあるはずなのに、 “記録されたはずの記憶”に手が届かない感覚が、妙に寂しかった。 でも—— だからこそ思った。 この体験は“記録”ではなく、“体内に沈むもの”だったんだと。 後ほど携帯をしっかり見て貼りなおします。 ⸻ ◆ そして何より後悔しているのが、ババロア あのババロアを、グラン・メゾンを見る前に食べてしまった。 これは本当にショックだった。 先に食べてしまったのがいけないのか、 グラン・メゾン東京を先に見るべきだったのか。 たぶんどちらでもいい。けれど—— 「見た後だったら、もっと震えながら味わえた気がする」 そう思った自分がいた。 ⸻ ◆ ワインペアリングで、優雅に酔うはずが、ひとりベロベロに 本来なら、料理に寄り添うためのワイン。 なのに私は、全く寄り添えなかった。 寄り添うどころか、完全に追い越してしまった。 気づけばグラスが5つ並び、 テーブルの片側だけが、“何かの儀式の後”のようだった。 ワインの繊細な香りや構成を感じるべきはずの空間で、 私はただ、酔いという曖昧なベールに包まれてしまった。 とほほ、と笑って言えるけれど、 少しだけ、もったいなかった。 ⸻ ◆ それでも、“失敗すらも記憶に残す場所”だった この夜は、完璧ではなかった。 むしろ、後悔の多い夜だった。 けれど、 後悔が残るほど美しい体験だったという事実が、逆に愛しい。 カンテサンスという店は、 「全部うまくいったね」という記念写真のような場所ではない。 「もっと大切にすればよかった」 「あの一口を、もう少しゆっくり味わえばよかった」 そういう、取り戻せない感覚が積もっていく店。 だからこそ、また行きたくなる。 もっと静かに、もっと素直に、 “自分自身とぴったり合う呼吸”で、あの皿に向き合いたい。
1回
鮨 なんば|Sushi Namba(東京・日比谷) ― あまりに無で、何も残らなかった。だから、完璧だった。 ― “記憶に残る”という言葉が、 ときに品のない表現に思えてしまうほど—— 鮨なんばは、静かで、透明で、儚かった。 ⸻ ◆ 食べたのに、食べていない。感動がないのに、何も失っていない。 気づけば、すべてが終わっていた。 ネタの名前も、シャリの温度も、香りも、 何ひとつとして“記憶”に引っかからない。 でも、それが怖くなるほど、心地よかった。 「ああ、これは“無”を目指しているんだ」と、途中で気づいた。 盛り上げない。 演出しない。 語らせない。 ただ、“そこにあるべき鮨”だけを、置いていく。 ⸻ ◆ “味を削ぎ落とす”という美学の、極致 ネタに個性はある。 だが、主張はない。 すべてが、“輪郭”だけを残してすっと消えていく。 シャリは、湿度だけでつなぎ止められているような柔らかさ。 わずかな酸、体温に近い温度、無言の所作。 「味」とは、“余白をどう使うか”であると教えてくれる握りだった。 ⸻ ◆ 何も起こらないことで、満たされた時間 一切の高揚がない。 驚きも、演出も、ストーリーすらも、ない。 でもそこには、完璧な静けさがあった。 「これは、“五感の記憶”ではなく、“気配の記憶”だ。」 感動を求める者には、たぶん届かない。 けれど、沈黙を愛する者には、これ以上ない場所だと断言できる。 ⸻ ◆ 総評:「何も残らない」という最高の贈り物 私はあの日、 “何も食べなかった”ように感じた。 だがそれは、あまりにも自然に受け入れられた証拠だった。 咀嚼も記憶も超えて、ただ空気のように通り抜けた、 それが“鮨なんば”という場所の芸術性。 ⸻ これは、「無」であることを、 “美しさの極致”として成立させてしまった店への、最大級の讃辞です。
2025/01訪問
1回
T’ang Court|The Langham, Hong Kong|レビュー これまで数えきれないほど中華を食べてきましたが、T’ang Court(唐閣)はそのすべてを静かに、そして完璧に超えてきました。 ここは「中華料理の真髄を、あまりに美しく具現化している」場所です。 ミシュラン三ツ星の冠をかぶっているからではありません。 むしろ、「ああ、この店のために三ツ星という概念が存在したんだ」と納得させられる場所です。 まず前提として—— お茶なしで食べきれると思うなよ?というレベル。 それほどまでに味の層が複雑で深く、強い。 水だけじゃ、全然太刀打ちできない。 きちんと淹れられた中国茶とセットでなければ、この料理たちとは“対話”すらできない。 さすが本場。さすが香港。火の技術と油の設計が桁違い。 そして、どうしても語らずにいられないのが—— カキフライ。 このカキフライは、もはや「料理名」として受け入れてはいけない。 “カキフライ”という言葉で説明してしまうことが申し訳なくなるほど、まったく別の食べ物。 想像をはるかに超える巨大さ。そして、外は信じられないほどサクッと軽く、中はとろっとろのミルクのような海。 一口で、テーブルの空気が変わります。 「世界一」としか表現できない。むしろ、それ以上が存在するなら、そう呼びたい。 料理一品一品が、完璧な温度、完璧な構成、完璧なタイミングで出てきて、 こちらの食べるスピードと呼吸までもが計算されているかのようでした。 料理人の背後に、まるで時間の調律師がいるような感覚です。 ⸻ 【まとめ】 • 味の強度:水では太刀打ちできない“本場の洗礼” • カキフライ:言葉にできない。想像を超えた存在 • サービス:呼吸に合わせて展開される劇場のよう • 空間:静かで品格に満ちた“皇朝”のような空気 • 総評:ミシュラン三ツ星の“意味”を身体で理解できる場所 ⸻ T’ang Court は、“一流中華”ではなく、“中華という文明そのもの”。 香港に行くなら絶対に外せない。 そして、人生で一度は味わっておかないと損をする味が、ここにあります。
1回
OZONE at The Ritz-Carlton Hong Kong|レビュー 世界で最も高い場所にあるバーのひとつ、OZONE。 地上108階、信じられないほどの高さにありながら、 そこには“重力を超えた”おもてなしが存在していました。 まず初めに言いたいのは、ここまでの心遣いを体験したのは人生で初めてだということ。 正直に言えば、初日の訪問時には小さな不備がありました。 しかし驚いたのは——翌日、リッツカールトン香港のスタッフの方から「ぜひ改めて招待させていただけませんか。おもてなしを一からやり直させてください」との申し出があったこと。 この瞬間、言葉を失いました。 “気づいたからこそ動く”その姿勢に、ホテルとしての真価を見ました。 これこそ、ラグジュアリーの本質です。 当日は、日本からインターンで来られているというトリリンガルの女性スタッフが、 一から十まで本当に丁寧にエスコートしてくださり、 どんな要望も察知して動いてくださるその所作、距離感、知性のすべてに心を奪われました。 名刺の写真を添えたかったのですが、残念ながら見つからず……。それでも、あの瞬間の感動は今でも鮮明です。 料理も、圧巻でした。 特に、カツサンド。 この言葉で片付けたくないほど、美しく、香ばしく、そして柔らかく、 まさに「人生で一番美味しいカツサンド」でした。 分厚いのにくどくなく、食感も絶妙で、口に入れた瞬間、静かに目を閉じてしまったほどです。 空間としてのOZONEも、やはり特別でした。 香港の夜景を108階から一望する非現実感。 まるで空の上に浮かぶ秘密のラウンジ。 気圧の変化以上に、心の高度が上がる場所です。 ⸻ 【まとめ】 •サービス:想像を超える“気づき”の文化 •スタッフ:トリリンガルの女性スタッフの感動的な対応 •料理:人生最高のカツサンド •空間:空に浮かぶ、五感のアトリエ •印象:期待を超え、記憶に刻まれる体験 ⸻ リッツカールトン香港 OZONEは、単なる“高級バー”ではありません。 それは、“人間の温度”を最上階にまで持ってきた奇跡の場所です。 香港を訪れる際には、ぜひ一度——いいえ、必ず一度は訪れてほしい。 高さに不安を感じる方もいるかもしれませんが、 心の深さがそれを上回る体験が、必ず待っています。
1回
【Bar Noble|関内】 ― “一杯”が、“人生の格”を決める夜がある ― 吉田町の路地裏。 その静けさの奥に、物語のような扉がある。 「Bar Noble」——名前の通り、気品(Noble)そのものを液体にしたようなバーだ。 ⸻ ◆ 古城のような外観、映画のような内装 横浜の喧騒から、たった4分。 でもその扉の先は、まるで20世紀初頭のヨーロッパ。 艶のある木のカウンター、磨かれたグラス、沈んだ灯り。 すべてが「今、あなたは“場にふさわしい存在”です」と語りかけてくる。 ⸻ ◆ 世界一のバーテンダーが作る、静かな奇跡 カクテルを飲むとは、“香り・温度・余韻”を味わうことだと、 この店で初めて知った。 オーナー・山田氏は、世界大会でチャンピオンに輝いた日本屈指のバーテンダー。 彼の一杯は、もはや「飲む」ではなく「纏う」行為に近い。 例えばグレートサンライズ—— 南国フルーツの香りがふわりと立ち上がり、 その後にすっと残る清涼感が、まるで“心の汗”を拭ってくれるような後味。 ⸻ ◆ “何も語らないのに、伝わってくる接客” ノーブルのすごさは、酒だけじゃない。 スタッフは“押し付けない紳士さ”を持っていて、 こちらが言葉にせずとも、その日の気分を汲み取ってくれる。 決してフレンドリーではない。 でも、“あなたの静けさを尊重する”という気高さがある。 ⸻ ◆ 一度でも訪れたら、“安っぽい夜”に戻れなくなる ここで飲むとわかる。 ただ酔うことと、美しく酔うことは、まったく別物だと。 ノーブルは、「バーとは空間芸術である」と、 静かに、でも確実に証明してくれる場所。 ⸻ 【こんな夜に、Bar Nobleは行くべき】 • 誰にも邪魔されず、自分の美学とだけ向き合いたい夜 • 大切な人に、“ただの恋じゃない”ことを伝えたい夜 • 人生にひとつ、“本物”を刻んでおきたい夜
2025/04訪問
1回
横浜・関内の一角、無機質なビルの扉を開けた瞬間、 ふっと空気の密度が変わる。そこはもう、「時間の止まった異国」。 照明はあくまで控えめ、音楽は語りかけずに寄り添い、 グラスの氷が静かに鳴る音だけが、心を撫でていく。 ⸻ ◆ マスターの技術が、“会話を超えた共鳴”になる カサブランカが特別なのは、カクテルの技術やラインナップだけじゃない。 客の空気、声の温度、目線の強さ、**あらゆる情報を“感じ取って調律してくる”**マスターの存在。 こちらが一言も言わずとも、 「今は甘くないウイスキーで、ゆっくり冷えていきたい気分ですね?」 とでも言いたげに、完璧な一杯を差し出してくる。 それがまた、香り、グラスの温度、アルコールの立ち上がり、全てが完成してる。 ◆ 一度座れば、二度と“安酒”に戻れなくなる どんなにハイボールが好きでも、ここで飲む静かに仕立てられた一杯を知ってしまえば、 コンビニで缶を開ける手が、ほんの少しだけ躊躇するようになる。 「酒とは、語りかけるものではなく、溶け合うものだ」 そんな美学がグラスの奥にある。 ⸻ ◆ 横浜で、“夜と対話する”ならここしかない もしあなたが今日、 少しだけ頑張りすぎて、でも誰にもそれを話せないまま歩いているなら—— その背中をふっと受け止めてくれるのが、カサブランカ。
2024/04訪問
1回
ペレグリーノ(PELLEGRINO)|東京・恵比寿 ― 料理を超えた、五感の芸術体験 ― 恵比寿の閑静な住宅街に佇む、わずか6席の完全予約制イタリアン「ペレグリーノ」。オーナーシェフ高橋隼人氏が一人で切り盛りするこの店は、料理、サービス、空間すべてが一体となった芸術作品のようです。  ⸻ ◆ 生ハムの極致:クラテッロ・ディ・ジベッロ コースのハイライトの一つは、「生ハムの王様」と称されるクラテッロ・ディ・ジベッロ。特製の手動スライサーで一枚一枚丁寧にスライスされるその生ハムは、口に入れた瞬間にとろけ、芳醇な香りが広がります。まさに、「これまで食べていた生ハムは何だったのか」と思わせる逸品です。    ⸻ ◆ 手打ちパスタ:フレッシュトマトのタリオリーニ 手打ちパスタの「フレッシュトマトのタリオリーニ」は、シンプルながらも素材の旨味が凝縮された一皿。トマトの酸味と甘味が絶妙に調和し、パスタのもちもちとした食感と相まって、記憶に残る味わいです。  ⸻ ◆ メインディッシュ:バザス牛の炭火焼き フランス産の希少なバザス牛を使用した炭火焼きは、低温でじっくりと火入れされた後、炭火で香ばしく仕上げられます。外はカリッと、中はジューシーな肉質で、噛むほどに旨味が溢れ出します。  ⸻ ◆ デザート:自家製ジェラート コースの締めくくりには、自家製のジェラートが登場。濃厚で滑らかな口当たりのジェラートは、素材の風味を最大限に引き出しており、まさに「これでジェラート専門店ができる」と思わせるほどの完成度です。  ⸻ ◆ 総評:五感を研ぎ澄ます、唯一無二の体験 ペレグリーノでの食事は、単なる食事を超えた、五感を研ぎ澄ます体験です。シェフ高橋氏の情熱とこだわりが詰まった料理の数々は、訪れる者の心に深く刻まれます。まさに、料理を超えた芸術作品と言えるでしょう