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senpum 認証済
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1回
昼の点数:4.4
浅草通りを歩いていると、ふと鼻をくすぐる香ばしいバターと小麦の匂いが、風に乗って流れてきた。まるで呼び寄せられるように、その香りの方へ足を向けると、墨田区・浅草通り沿いにひっそりと佇む、小さなパン屋に辿り着いた。「塩パン屋 パン・メゾン すみだ浅草通り店」――店先には焼きたてのパンがずらりと並び、ひっきりなしにお客が訪れては、トレーを手に次々とパンを選んでいく。その姿を見ているだけで、なにやら胸が高鳴ってくる。店の扉を開けると、ふわりと包み込むような香りが全身を包んだ。小麦と発酵バターが混じり合ったこの香りは、どこか懐かしく、そして抗いがたい。レジの横には焼き上がったばかりの塩パンが山のように積まれており、湯気を立てて輝いている。小ぶりで素朴な見た目だが、その一つ一つに職人のこだわりと誇りが感じられた。「焼きたてです!」という店員の声に背中を押されるように、気がつけばトレーに塩パンを2つ乗せていた。会計を済ませ、店先のベンチに腰を下ろす。手にした塩パンはまだほんのりと温かく、指先にやさしい熱が伝わってくる。まずはひと口――。……やばい。これは、ただのパンじゃない。外は薄い皮がパリッと焼き上がり、内側はふわふわ、そしてしっとりとした生地が層になって舌の上でほどけていく。噛むたびに、バターの濃厚な香りと塩のシャープなアクセントが絶妙なバランスで広がり、脳の奥がじんわりと痺れるような快感に包まれた。塩の加減が絶妙で、ただの甘い香りのパンではなく、しっかりと「味わう」パンに仕上がっているのだ。二口、三口と進むうちに、気がつけば一個目はあっという間に消えていた。バターが染み込んだ生地の底はほんのりカリッと香ばしく、焼きたてならではの心地よい食感。まさに“焼きの瞬間”を逃さず食べた者だけが味わえる特権である。二個目を手に取るとき、少し躊躇いがあったが、その香りに抗える人間が果たしているだろうか。答えは、否だ。店の周囲では観光客がスマホを片手に写真を撮っていたが、私はそれには目もくれず、ただ塩パンと向き合う。まるで一杯のコーヒーと対話するように、この一つのパンの中に込められた時間と情熱を噛みしめた。沢木耕太郎が旅先でふと立ち寄った喫茶店で、一杯のコーヒーに心を奪われたように、私もまたこの塩パンに心を持っていかれてしまったのだ。パン・メゾンの塩パンは、一見シンプルに見えて、計算し尽くされた完成度を持っている。バターの質、塩の分量、生地の折り込み具合、焼き上げのタイミング――どれか一つでも欠ければ、この味は生まれないだろう。店内の奥では、次の焼き上がりを待つパンが静かに膨らみ、職人たちの手がせわしなく動いていた。その光景は、まるで舞台裏を垣間見るようで、見ているだけで心が温まった。気がつけば、通りを行き交う人々の喧騒も、車の音も耳に入らなくなっていた。目の前にあるのは、塩パンと自分だけ。ひとつのパンで、こんなにも心が動かされるとは思ってもみなかった。これが「やばいくらい旨い」という言葉の真意だろう。浅草観光の途中に立ち寄るのもいい。だが、わざわざこの塩パンを目的に足を運ぶ価値がある。むしろ、そのためだけに訪れるべきだとさえ思う。派手さはない。しかし、真の美味しさは往々にして、こういう素朴な一品の中に潜んでいる。
2025/10/03 更新
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浅草通りを歩いていると、ふと鼻をくすぐる香ばしいバターと小麦の匂いが、風に乗って流れてきた。まるで呼び寄せられるように、その香りの方へ足を向けると、墨田区・浅草通り沿いにひっそりと佇む、小さなパン屋に辿り着いた。「塩パン屋 パン・メゾン すみだ浅草通り店」――店先には焼きたてのパンがずらりと並び、ひっきりなしにお客が訪れては、トレーを手に次々とパンを選んでいく。その姿を見ているだけで、なにやら胸が高鳴ってくる。
店の扉を開けると、ふわりと包み込むような香りが全身を包んだ。小麦と発酵バターが混じり合ったこの香りは、どこか懐かしく、そして抗いがたい。レジの横には焼き上がったばかりの塩パンが山のように積まれており、湯気を立てて輝いている。小ぶりで素朴な見た目だが、その一つ一つに職人のこだわりと誇りが感じられた。
「焼きたてです!」という店員の声に背中を押されるように、気がつけばトレーに塩パンを2つ乗せていた。会計を済ませ、店先のベンチに腰を下ろす。手にした塩パンはまだほんのりと温かく、指先にやさしい熱が伝わってくる。まずはひと口――。
……やばい。これは、ただのパンじゃない。
外は薄い皮がパリッと焼き上がり、内側はふわふわ、そしてしっとりとした生地が層になって舌の上でほどけていく。噛むたびに、バターの濃厚な香りと塩のシャープなアクセントが絶妙なバランスで広がり、脳の奥がじんわりと痺れるような快感に包まれた。塩の加減が絶妙で、ただの甘い香りのパンではなく、しっかりと「味わう」パンに仕上がっているのだ。
二口、三口と進むうちに、気がつけば一個目はあっという間に消えていた。バターが染み込んだ生地の底はほんのりカリッと香ばしく、焼きたてならではの心地よい食感。まさに“焼きの瞬間”を逃さず食べた者だけが味わえる特権である。二個目を手に取るとき、少し躊躇いがあったが、その香りに抗える人間が果たしているだろうか。答えは、否だ。
店の周囲では観光客がスマホを片手に写真を撮っていたが、私はそれには目もくれず、ただ塩パンと向き合う。まるで一杯のコーヒーと対話するように、この一つのパンの中に込められた時間と情熱を噛みしめた。沢木耕太郎が旅先でふと立ち寄った喫茶店で、一杯のコーヒーに心を奪われたように、私もまたこの塩パンに心を持っていかれてしまったのだ。
パン・メゾンの塩パンは、一見シンプルに見えて、計算し尽くされた完成度を持っている。バターの質、塩の分量、生地の折り込み具合、焼き上げのタイミング――どれか一つでも欠ければ、この味は生まれないだろう。店内の奥では、次の焼き上がりを待つパンが静かに膨らみ、職人たちの手がせわしなく動いていた。その光景は、まるで舞台裏を垣間見るようで、見ているだけで心が温まった。
気がつけば、通りを行き交う人々の喧騒も、車の音も耳に入らなくなっていた。目の前にあるのは、塩パンと自分だけ。ひとつのパンで、こんなにも心が動かされるとは思ってもみなかった。これが「やばいくらい旨い」という言葉の真意だろう。
浅草観光の途中に立ち寄るのもいい。だが、わざわざこの塩パンを目的に足を運ぶ価値がある。むしろ、そのためだけに訪れるべきだとさえ思う。派手さはない。しかし、真の美味しさは往々にして、こういう素朴な一品の中に潜んでいる。