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120 件を表示 266

浅草ビューホテル

浅草(つくばEXP)、田原町、浅草(東武・都営・メトロ)/ホテル

3.26

152

¥10,000~¥14,999

-

定休日
-サイトの性質上、店舗情報の正確性は保証されません

夜の点数:5.0

スカイツリーを独り占めした夜に、ひとつの物語が生まれた ― 浅草の夜というのは、いつだってどこか湿り気のある情緒をまとっている。 観光客のざわめきが静まり、浅草寺の灯りが遠くに沈んでいく頃、その向こうにそびえる東京スカイツリーが、深い夜を裂くように光を放ち始める。 その光が、今夜はやけに鮮やかに見えた。 浅草ビューホテルの28階へ向かうエレベーターは、静かに、しかし確かに上昇していく。 扉が開いた瞬間、目の前に広がる夜景は、息を呑むほどの“完成された景色”だった。 ガラスの向こう、街の灯りがまるで宇宙の星雲のように散りばめられ、その中心にスカイツリーが凛と立っている。 紫、赤、金――その色彩は夜の風をまといながら、東京という街のリズムを刻んでいた。 バーの席につくと、テーブル越しにその景色がさらに深まる。 ほどなくして運ばれてきたアイスティーのグラスが、照明に反射して淡い琥珀色を放つ。 彼女はコーヒーを頼み、白いカップに指先を添えながら、静かに窓の外を眺めていた。 その横顔が、夜景と溶け合ってひとつの絵になっていた。 この28階のバーは、派手さを求める場所ではない。 むしろ、人生のどこかをそっと振り返ったり、未来を静かに思い描きたくなるような、そんな“大人の休憩所”だ。 夜景が語りかけてくるのは、豪華な出来事でも、賑やかな物語でもない。 ただそこにある灯りのひとつひとつが、人々の暮らしと息遣いを映している。 その中に自分と彼女の時間も溶け込んでいく。 ショートケーキの白いクリームが、夜景の光に少しだけ反射して柔らかく光る。 苺をひとつ口に運ぶと、その酸味が微かな緊張感をほどくように広がった。 アイスティーをひと口飲むと、冷たさが喉の奥を通り抜け、内側に溜まった一日の疲れをそっと洗い流していく。 窓外のスカイツリーは、まるでその瞬間を祝福するかのように、淡いピンクから紫へと色を変えていった。 「スカイツリー、綺麗だね」 彼女がぽつりと言った。 その声は夜景よりも静かで、しかしどこか芯があった。 僕はただ、うん、と小さく頷いた。 こういう時、言葉は必要ない。 人は美しい景色を前にすると、むしろ沈黙の方がしっくりくる。 景色を独り占めした、という感覚があった。 もちろん東京中の無数の人々がこの街で生きている。 それでも、この瞬間だけは、スカイツリーも浅草も、彼女の笑顔も、僕の胸の鼓動も、すべてが一本の線でつながっているような気がした。 夜景を見下ろしながら飲む一杯には、不思議と旅の気配が宿る。 遠くへ行くわけではないのに、心だけがゆっくりとどこかへ向かっていく。 沢木耕太郎が旅の途中で立ち寄るバーのように、ここには都会の真ん中にある“もう一つの旅路”がある。 それは、誰かと過ごす静かな時間が、日常を少しだけ特別にしてくれる瞬間だ。 グラスが空になり、カップの温度が冷めていく頃、夜景はさらに深みを増していく。 スカイツリーは、相変わらず凛とした姿で東京の夜を支えていた。 その光を心に刻みながら、僕らは席を立った。 浅草ビューホテルの28階―― それは、東京の夜にそっと寄り添うように存在する、ひと晩限りの物語の舞台だった。 そして今夜、その物語の主役は、間違いなく僕ら二人だった。

2025/11訪問

1回

骨付鳥、からあげ、ハイボール がブリチキン。 浅草橋店

浅草橋、馬喰町、両国/居酒屋、からあげ、カレー

3.04

44

¥2,000~¥2,999

-

定休日
-

夜の点数:4.9

浅草橋という街は面白い。ビルと高架が幾重にも影を落とし、隅田川の風が道路の隙間をすり抜けていく。観光客が足早に通り過ぎる浅草とは違い、この街には、夜になると独特の静けさが満ちてくる。そんな町角に、ぽっと明かりをつけて迎えてくれる店がある。「骨付鳥、からあげ、ハイボール がブリチキン。」浅草橋店だ。 店の前に立つと、香ばしい匂いが鼻をくすぐる。くたびれた一日の終わりに、理屈ではなく本能が「ここでいい」と決めてしまう。引き戸をくぐると、店長が笑顔で出迎えてくれた。その笑顔は作り物ではない。常連にも一見にも同じ温度で向き合い、気さくに声をかけてくれる。愛想よく、しかし距離を詰めすぎない。酒場の空気をよく知った接客だ。 テーブルにつき、まずはハイボールを頼む。氷がグラスに触れてカランと鳴ると、それだけで肩の力が抜けていく。いつもの仲間とグラスを軽くぶつけ、「おつかれ」と小さな声を交わせば、それはもう宴の始まり。 最初に届いたのは名物の「がブリチキン」。からあげとは呼ばない。がぶり、といくための鶏だ。衣は薄く澄んだ黄金色。噛めば肉汁が滲み出し、舌に伝わる熱い衝撃に思わず口角が上がる。ブラックペッパーの刺激がハイボールとの相性を完璧に演出してくれる。ハイボールを流し込むたび、次のひとつを口に運ばずにはいられない。 そして、主役がやってくる。親鳥の骨付鳥。皿の上では艶やかな肉が堂々と構え、食べる者に覚悟を促す。若鳥にはない筋肉の反発。噛みしめると、じんわりと溢れる旨味が歯に、舌に、記憶に刻まれる。脂は控えめだが味は鋭い。長く生きて溜め込んだ力強さが、この一皿には宿っている。 店内では、仕事帰りの客たちがそれぞれの夜を語り合っている。愚痴も夢も、鶏と酒がすべて受け止めてくれる。この店には、そういう懐の深さがある。ふと視線を感じて振り向くと、店長が気にかけるように目を配っている。グラスが空になりそうなら、聞こえるか聞こえないかの声で「次、どうしましょう?」と笑う。こういう心地よさが、客を次の再訪へと導くのだ。 三杯目のハイボールに差し掛かるころ、笑いは大きく、話はくだらなく、夜そのものがやわらいでいく。仲間が言った。「せっかくだから、これでもかってくらい食おうぜ」。それは、ただの冗談ではなかった。唐揚げを追加し、骨付鳥をまた一本。限界を忘れた夜は、とても自由だ。 噛むほどに味の増す親鳥に、自分たちの人生が重なった。失敗や疲れを抱えても、こうして笑っていられる。ハイボールの泡が、今日を肯定してくれる。そんな瞬間の積み重ねこそ、きっと幸せというやつなのだ。 店を出る頃、浅草橋の夜風が少し冷たくなっていた。背中を押すのではなく、肩をそっと包み込むような、優しい風だ。店長の「ありがとうございました、またぜひ」が背中に追いかけてくる。その声は不思議と、自分の明日を元気づけてくれる。 鶏と酒と、いい人。 それさえ揃えば、夜はごちそうになる。 ここは、そんな夜を保証してくれる場所だ。

2025/10訪問

1回

タイ居酒屋 イサーン サコンナコン

錦糸町、住吉、亀戸/タイ料理

3.20

23

¥4,000~¥4,999

-

定休日
月曜日サイトの性質上、店舗情報の正確性は保証されません

夜の点数:4.8

その夜、仕事仲間たちと連れ立って向かったのは、繁華街の雑踏の中にひっそりと佇むビル。その上階に、まるでタイの夜市の一角を切り取ったかのような居酒屋「イサーン サコンナコン」があるという。看板にはタイ文字が踊り、薄暗い階段を上っていくと、階下の喧騒が少しずつ遠ざかり、代わりに異国の香りが鼻をくすぐってきた。ナンプラーとレモングラス、唐辛子が入り混じった、あのタイ特有の熱を帯びた匂いだ。 扉を開けた瞬間、そこはまるで別世界だった。タイ人客たちがマイク片手にカラオケを歌い、スタッフは笑顔で行き交い、スナックと現地の居酒屋が融合したような、どこか懐かしくも雑多な空気が店内に満ちていた。ネオンの明かりが天井に反射し、音楽と人々の声が混じり合って、まるでバンコクの裏通りに迷い込んだような錯覚を覚える。 席に着くと、まずは定番の「トムヤムクン」を注文した。湯気を立てて運ばれてきた鍋には、えび、きのこ、レモングラス、パクチーがぎっしりと詰まっている。一口スープを啜った瞬間、酸味と辛味が舌の奥を刺激し、ココナッツミルクのまろやかさがその辛さを包み込む――まさに本場の味だった。バンコクの屋台で食べたあの記憶が、一気に蘇る。仲間の一人が「これ、現地の味そのままだな」と呟いたが、それは決して大げさではない。 続いて運ばれてきたのは、イサーン名物の「辛いウインナー」。こんがりと焼き上げられた皮がパリッと音を立て、中から唐辛子と肉汁がほとばしる。ビールを流し込むと、喉の奥がじんわりと熱くなる。この感覚がたまらない。テーブルには次々とソムタム(青パパイヤサラダ)、ガイヤーン(焼き鳥)、ラープ(ひき肉とハーブのサラダ)といった料理が並び、どれも手加減なしの“本気の辛さ”と“香草の香り”が生きている。ここが東京であることを一瞬忘れてしまうほどだった。 ふと店の奥を見ると、常連らしきタイ人たちが次々とステージに立ち、楽しげに歌い踊っている。店主もマイクを握り、客席と一体になって盛り上がるその光景は、日本の居酒屋とはまったく異なる空気を生み出していた。辛さに汗をかき、笑いながら、僕たちもその輪の中に自然と溶け込んでいった。 「イサーン サコンナコン」は、ただの料理店ではない。階段を数段上るだけで、異国の夜へと踏み込む小さな旅が始まる。ビルの上階というロケーションもまた、まるで秘密のアジトに迷い込んだような感覚を引き立てていた。外に出れば秋の夜風が頬を撫で、現実に引き戻される。だが、あの辛さと音楽と笑い声は、しばらく耳と舌に残り続けた――まるで、ほんの短い旅の余韻のように。

2025/10訪問

1回

伝統韓国料理 松屋

東新宿、新大久保、西武新宿/韓国料理、冷麺

3.51

1037

¥4,000~¥4,999

¥3,000~¥3,999

定休日
-サイトの性質上、店舗情報の正確性は保証されません

夜の点数:4.6

ネオンが入り交じる夜の新大久保。その雑踏の奥に、静かに佇む一軒がある——「伝統韓国料理 松屋」。副都心線・東新宿駅のA1出口から歩けば5分、新大久保駅からなら10分ほど。路地を抜け、薄暗い建物の1階に掲げられた看板が、ようやくその場所を示してくれる。  僕たちが訪れた夜、店先には控えめな灯り。扉を開けると、韓国料理らしい香辛料の香りと、煮込みの湯気が混ざった濃やかな空気が待ち構えていた。店内は広々とした空間ではなく、むしろほどよい密度感があり、隣席の声も届く。だがそれが、気負わずに酒と料理を楽しむ雰囲気を醸す。 この店が創業したのは1989年。新大久保コリアンタウンにあって、韓国料理の老舗の一角を担ってきた店だという。  食べログによれば、35年以上の歴史を持ち、こちらは日本で最初に「カムジャタン(豚と芋の鍋)」を広めた店とも称されている。  だから、ここに来ること自体がひとつの伝承への歩みなのだ。 この夜、僕たちは会社の仲間を誘って、久々の打ち上げを兼ねた宴を開いた。まずはチョミソル(韓国伝統焼酎)で乾杯。透明な液体がグラスの中で揺れ、口に含むとすっと喉を通る。冷たさと辛味、ほのかな甘みが微妙に混ざり合い、体の芯からじんわりと温度を立ち上らせる。酒はこの宴の旗艦であり、料理をさらに引き立てる伴侶である。 そして、いよいよ名物・**カムジャタン(豚と芋の鍋)**が運ばれてきた。鍋は鉄の器で、赤味を帯びたスープがぐつぐつと音を立てている。湯気の中に豚の脂、ニンニク、唐辛子、出汁の匂いが折り重なって立ち上る。それを目にした瞬間、僕たちの胃袋は一斉に目覚めた。 まず豚肉を一片。割りばしを差し込む手に力はいらない。火の通り具合は絶妙で、表面は軽く炙られ、中はしっとりと柔らかい。脂身は甘みを湛えていて、決してくどくはない。スープをまとって、口の中にじんわり染み込む。次に芋をひと口。ほくほくとした食感に、スープの旨みがしっかり沁みていて、噛むごとに甘みと辛味が交互に広がる。この鍋の味は、辛味・塩味・旨味のバランスが高い次元で調和していた。 僕たちは無言になる瞬間を何度も迎えた。鍋を囲むこと自体が祝祭だ。黙々と飲み、食べ、酒を注ぎ合い、語らう。そしてまた鍋に戻る。鍋の中の具材は次第に少なくなり、スープだけが深い色味を残す。そのスープの一滴一滴を味わうように、僕たちはレンゲを動かした。 酒が進むにつれ、空になったチョミソルの瓶がテーブルの端に並び、空の皿が重なっていく。女将が時折こちらを見て微笑み、「足りてるか?」と声をかけてくれる。その声が、この店の懐深さを物語る。華やかさはない。だが、いつまでも続くような料理と時間の密度を持つ店だ。 閉店近く、店を後にすると、新大久保の夜風が頬を撫でた。街のネオンと雑踏はまだ息づいている。だが僕の余韻の中には、あの鍋の温もりと香りが残っていた。それは、ただ満腹になる以上のもの。仲間との時間が、味の記憶と重なって胸に刻まれている。 伝統韓国料理 松屋——ここには料理の「老舗感」だけではない。年を重ねた職人の手の眼差し、鍋の中に宿る旨味、静かに流れる時間。そして、それを共有する人との距離が、ほどよく近しい。新大久保という喧騒の中で、ひととき静かに身体と心を預けられる“韓国の家屋”のような場所である。

2025/10訪問

1回

vegan veggie 嫦娥

表参道/野菜料理、ダイニングバー、中華料理

3.39

118

¥8,000~¥9,999

¥3,000~¥3,999

定休日
-

昼の点数:4.5

店に足を踏み入れた瞬間、どこか異国の小さな寺院に迷い込んだような、 静かで澄んだ空気が漂っていた。 油の熱気や香辛料の刺激は影を潜め、代わりに、野菜や香草の持つ柔らかな香りが、 ゆっくりと呼吸に馴染んでいく。 「中華の店に来たのに、身体が先に安心してしまう」 そんな不思議な感覚に包まれながら、席に着いた。 最初に運ばれてきたのは、まるで上質な海老の清炒めのような一皿だった。 白と橙が混ざり合う“エビらしき食材”が、アスパラやパプリカ、銀杏とともに 白い皿の上に静かに並んでいる。 見た目だけなら、どこに出しても立派な中華の海鮮料理だ。 箸を入れた瞬間、その“あり得なさ”に思わず笑ってしまった。 植物性で作られた代替食材なのに、噛んだときの弾力、 舌に沿って弾き返すような繊維の感じが、本物の海老と錯覚させるほどだ。 ただ、後味だけが違う。 海老特有の重さがまったくない。 旨味はあるのに、食べ終えたあとの胃が驚くほど軽い。 まるで料理そのものが、食べ手の身体を気遣っているような優しさを帯びていた。 続いて出されたのは、角煮のように見える大豆ミートの一皿。 彩鮮やかなトマトやパプリカ、大根おろし、紫蘇が織り成す “和の気配をまとった中華”。 皿の上の食材たちは、それぞれが静かに自己主張しながらも、 ひとつの景色として調和していた。 ひと口食べると、そこでまた驚かされる。 大豆ミートとは思えないほどのコクと旨味。 ただ濃いだけではなく、香りと深みが何層にも重なるように広がっていく。 そこへ大根おろしの清涼感がすっと入り、紫蘇と香草が余韻を引き締める。 味が“縦”にも“横”にも伸びていくような感覚。 料理人の技巧というより、 “食材そのものの声を聞き、その最も美しい形を引き出した” そんな一皿だった。 その合間に、特製のビーガンワインが注がれた。 透明度の高い赤紫の液体がグラスの中で揺れ、 香りはどこか柔らかく、ブドウの輪郭だけが静かに浮かび上がるようだった。 口に含むと、 重さはないのに芯がある。 余計な強さがなく、野菜との相性が驚くほど自然だ。 普段飲んでいるワインとは違う、 “料理の邪魔をしない存在”という立ち位置が、逆に新鮮だった。 料理を一つひとつ味わうたびに、 「中華料理とはこうあるべきだ」という自分の中の固定観念が 少しずつ剥がれ落ちていくようだった。 重い、油っぽい、翌朝に響く―― その常識が、この店では意味をなさない。 皿が下げられ、最後にグラスの残りを飲み干した頃、 身体のどこにも重さがなく、 むしろ深く整った静けさだけが残っていた。 まるで旅先で、偶然立ち寄った寺院で食べた精進料理のように、 料理が心まで澄ませていく。 店を出ると、夜風が頬をかすめ、 街の明かりがゆっくりと戻ってくる。 その光景を眺めながら思う。 ――ビーガンだからではない。 ――中華だからでもない。 ただ“美味しいものとは、こういうものだ”と、 静かに教えてくれる店だった。 Vegan Veggie 嫦娥。 中華の美しさを、別の角度から照らし出す一軒だ。

2025/12訪問

1回

千串屋 東中野店

東中野、落合/焼き鳥、串焼き、居酒屋

3.37

90

¥3,000~¥3,999

-

定休日
-

夜の点数:4.5

東中野の駅を降りると、夜の空気にほんのりと炭火の香りが混じっていた。住宅街と商店が入り混じるこの街の空気には、どこか人懐っこさが漂っている。角を曲がった先に、木の温もりが滲み出るような小さな看板が灯っていた——「千串屋」。その名の通り、串焼きが主役の店である。 暖簾をくぐると、カウンター越しに立ち上る煙が目に飛び込んでくる。炭の上でじゅうじゅうと音を立てる焼き鳥。焼き手の大将は、手首の返し一つで串をくるりと回し、火加減を絶妙に操っている。その姿に一瞬、時間が止まったような感覚を覚える。串を焼く音、炭がはぜる音、そして奥のテーブルから聞こえる笑い声が、心地よいリズムを刻んでいた。 この日は気の置けない仲間たちと、仕事終わりの小さな宴を開いた。まずは生ビールで乾杯。グラスを合わせる音が軽やかに響き、喉を通る冷たいビールが一日の疲れを洗い流していく。口の中に残る麦の香りと炭の煙が混ざり合い、まるでこの店全体がひとつの料理になっているようだった。 最初に頼んだのは、定番の「ねぎま」。皮はこんがりと香ばしく、中は驚くほどジューシー。塩の加減が絶妙で、鶏の旨味が舌の上にじわりと広がる。続いて「つくね」。ふっくらと焼き上げられたそれは、ひと噛みで肉汁が溢れ、甘辛いタレと黄身のコクが絡み合って至福のひとときを演出する。仲間の一人が「これは日本酒にも合いそうだな」と呟いたが、僕はあえてハイボールを選んだ。炭酸の泡が舌の上ではじけ、脂の余韻を心地よくリセットしてくれる。 次々と運ばれてくる串は、どれも一串ごとに表情が違う。「せせり」のしなやかな弾力、「ぼんじり」の濃厚な脂、「レバー」のとろけるような舌触り——それぞれの部位に、大将の経験と勘が刻まれている。焼き過ぎず、だが芯まで熱が通った絶妙な火入れは、もはや職人芸としか言いようがない。 テーブルの上は、次第に串の山とグラスの数で賑やかになっていった。会話は自然と弾み、くだらない冗談から真面目な将来の話まで、話題は尽きない。炭火の熱気と仲間の笑顔に包まれていると、時間の感覚がゆっくりと溶けていく。店内はそれほど広くないが、むしろその距離感が人と人との心の壁を取り払ってくれるようだった。 気がつけば、店の外には夜風がひんやりと流れていた。通りに出ると、炭火の香りがまだ体に染みついているのが分かる。胸の奥に残るのは、満腹感だけではない。仲間と過ごした、飾らない時間の余韻だ。 千串屋 東中野店——派手さはない。しかし、ここには確かな“旨さ”と“時間”がある。炭火の前に立つ職人と、それを囲む人々の笑顔。そのすべてが、この夜を特別なものにしてくれた。次は一人で、カウンターに腰を下ろしてじっくり味わうのも悪くない。そんな余韻を残して、駅へと続く夜道を歩いた。

2025/10訪問

1回

タイランド

錦糸町/タイ料理、カレー

3.49

524

¥2,000~¥2,999

~¥999

定休日
月曜日

夜の点数:4.5

ドアを押した瞬間、湿った夜風の向こう側にあるはずのバンコクが、店内の温度と香りに置き換わって僕らの前に立ち現れた。レモングラスの青い香気、炒め油に溶けたニンニクの甘み、ナンプラーの潮っぽい気配。カウンター越しに「サワディーカー」と柔らかな声が落ちる。スタッフは皆タイ人らしく、厨房では中華鍋が火柱を吸い込み、金属の音を刻む。ここは「タイランド」。名は簡潔だが、器の中身はどこまでも濃い。 まずは仕事のパートナーとシンハーで乾杯する。泡は軽いのに、喉に当たるところで麦の芯がきちんと鳴る。ビールを迎えるための最初の皿に、青パパイヤのソムタムを頼んだ。臼で叩かれた唐辛子は直線的で、ライムの酸とタマリンドの甘酸っぱさがその刃を丸くする。千切りの果肉はまだ若く、硬質な歯触りが舌に拍子を与える。辛い、しかし止まらない。ビールがみるみる減るのは、料理の構成が正しい証拠だ。 続くパッタイは、甘さに逃げない。掌の熱で温まったライムを絞ると、米麺の輪郭が一段くっきりし、干し海老とピーナッツの香りが背骨になる。卵は絡めるだけに徹し、もったりさせない。強火のまま駆け抜けるタイの屋台の速度感が、そのまま皿の熱に写り込んでいる。ガパオは、名ばかりのバジル炒めでない。ホーリーバジルの辛香が立ち、粗く刻んだ鶏肉にナンプラーの塩が深度を与える。目玉焼きの縁はかりっと焦げ、黄身を崩すと全体がひとつの料理へと合流する。白飯の湯気に顔を近づけると、香りが一瞬甘くなるのが嬉しい。 トムヤムクンは、期待通りに混沌である。レモングラス、カー(ガランガル)、バイマックルーが三位で香りを支え、唐辛子の鋭さをココナツは一切手伝わない。澄み気味のスープに複数の光が差し込み、海老の殻から滲む甘みが、最後に静かな余韻を置いていく。辛・酸・塩の三角形が美しく均衡しているから、匙が止まらない。ここにだけは、話題を料理に譲る沈黙が生まれる。 そして締めのグリーンカレー。緑はやさしい色だが、油断は禁物だ。青唐辛子の芯は真っ直ぐで、ココナツミルクは盾ではなく媒介だ。鶏の旨味がスープに融け、タイ茄子が種の苦みで格を上げる。ジャスミンライスを浸せば、米自体に香りの回路が開き、匙とレンゲの往復に迷いがなくなる。甘さ、辛さ、香り、温度。どれもが半歩ずつ前に出て、互いを押し立てる。 細かなところが良い。スプーンは平たい金属で、麺も米も掬いやすい。卓上の砂糖・酢・ナンプラー・唐辛子、それぞれが「個別の主張」ではなく「微調整」のために用意されている。厨房から流れるタイポップスは控えめで、会話の余白を侵さない。スタッフの視線は常に客席の先を見ていて、水が減る前にグラスが満たされる。作り笑いではない、土地の体温のような笑顔がある。だからこちらも自然と頷きで返す。 二本目のビールはチャーンに替えた。麦の輪郭が少し丸く、辛味の皿に寄り添う包容力がある。仕事の話は次第に具体性を帯び、しかしどこか流れが滑らかだ。きっと舌が納得しているからだろう。良い店は、議論の角を一本ずつ削ぐ。ここはまさしくそういう店だ。 マンゴーと餅米のカオニャオ・マムアンで口を洗う。熟れた果実の香りに、ココナツの甘みが細く橋を架ける。炊き上げの加減が良く、粘りが重たくならない。辛さの旅は、こうしてふいに熱帯の夕暮れに着地する。 店名は「タイランド」。単純明快な旗を掲げながら、皿の精度は驚くほど緻密だ。ここには観光のタイではなく、生活のタイがある。強火の理、香草の秩序、塩と酸の節度。僕らはグラスを合わせ、泡の弾ける音を合図に再び箸を進める。仕事のパートナーと二人、腹ではなく心の方が先に満たされていくのを感じた。遠くへ行かなくても、旅は始められる。今夜、その方法をこの店が教えてくれた。再訪確定。

2025/09訪問

1回

CUORE

西武新宿、新宿三丁目、東新宿/バー

3.03

5

-

-

定休日
-サイトの性質上、店舗情報の正確性は保証されません

夜の点数:4.5

ネオンがきらめく歌舞伎町の夜は、いつだってどこか現実離れしている。無数の呼び込みと、夜更けにますます熱を帯びる人の群れ。その雑踏の中に「CUORE」という名のマジックバーは潜んでいた。扉を開けると、街の喧噪が嘘のように消え、そこには別世界が広がっていた。 仲間と連れ立ってカウンターに腰を下ろす。薄暗い照明がテーブルをやわらかく照らし、グラスの中の氷が小さな音を立てる。マジシャンがすっと現れ、トランプを指先で操る姿は、まるで舞台俳優のようだった。最初の一手で心を掴まれる。仲間が引いた一枚のカードが、ほんの数分後にはまったく別の場所から現れたのだ。氷の中から、封を切っていないカードデッキから、あるいは誰かのポケットから。不可能が次々と「現実」となっていく。 その一つひとつに驚きの声が上がり、笑い声が弾ける。飲みものは決して安くはない。だが、ここでは値段以上の体験が手に入る。モエ・エ・シャンドンの栓を抜き、泡が立ちのぼる。ひと口含むと、シャンパンの清らかな酸味がマジックの衝撃と溶け合い、ただの酒ではなく祝祭のように喉を満たす。 歌舞伎町という街は、日常と非日常が交差する舞台装置のようなものだ。その中心で「CUORE」は、ただの飲食店ではなく、大人が童心に返る劇場だった。トランプが宙に舞い、コインが消え、消えたはずのものが思いもよらぬ場所から姿を現す。理屈を探す間もなく、次の奇跡が目の前で起こる。 仲間の一人が思わず声を荒げ、「信じられない!」と叫んだ瞬間、店全体が笑いに包まれた。マジックは、ただ人を驚かせるための技術ではない。人と人の距離を一気に縮める力を持っている。酒を飲み、奇跡に驚き、笑い合う。気づけば、初めて訪れたはずの店が、長年の馴染みの場のように感じられていた。 「高いけれど、価値がある」——そんな言葉が自然と浮かぶ。冷えたモエシャンと、目の前で繰り広げられる一流の技。歌舞伎町の夜をただの酔いで終わらせず、記憶に刻む体験へと昇華させてくれる。 店を出ると、外は相変わらずの喧噪。煌びやかな看板、行き交う人波。しかし胸の奥には、さっきまで目の前で繰り広げられていた数々の奇跡が残っている。あの瞬間、僕らは少年のように目を輝かせ、心から驚き、笑った。歌舞伎町という街が持つ魔力と、マジックバー「CUORE」の力が、見事に交わった一夜だった。

2025/09訪問

1回

こはくどき

自由が丘、奥沢、緑が丘/バー

3.18

21

¥3,000~¥3,999

¥1,000~¥1,999

定休日
火曜日

昼の点数:4.5

自由が丘の角打ち「こはくどき」。白い洋館風の佇まいが、街のざわめきから一歩引いたように静かで、午後の陽射しを柔らかく反射していた。駅からの道すがら、風に揺れる木洩れ日がまるで誘うように路地を照らし、我々は自然とその扉をくぐった。 カウンターに腰を据え、冷えたビールをぐいと喉に流し込むと、体の奥で音を立てて何かがほどけていくのがわかった。仲間たちとの会話は、決して大声で騒ぐようなものではない。ただ、日々の積み重ねの中にあるちいさな驚きや笑いを、瓶越しにゆるやかに交わす。そこには時間を測るものなど要らなかった。 一人はビールを片手に静かに窓の外を見つめ、もう一人は笑いながらグラスを傾けた。そのひとときに、酒はただの酔いではなく、それぞれの人生の文脈を照らす灯のような役割を果たしていた。店主の気配りも心地よく、過不足ない距離感が空間に余白を与えていた。 「もう少し飲むか?」と誰かが言い、それに頷いたのは、言葉ではなくグラスの音だった。 日が暮れかける自由が丘の街に出ると、風が少し涼しくなっていた。背中に残る店の気配が、まるで旅の途中の小さな宿のようで、今夜の記憶はきっと、ビールの泡のように静かに浮かんでは消えるだろう。だがそれでもいい。そういう夜が、人生には確かに必要なのだ。

1回

塩パン屋 パン・メゾン すみだ浅草通り店

本所吾妻橋、浅草(東武・都営・メトロ)、とうきょうスカイツリー/パン

3.66

942

~¥999

~¥999

定休日
火曜日サイトの性質上、店舗情報の正確性は保証されません

昼の点数:4.4

浅草通りを歩いていると、ふと鼻をくすぐる香ばしいバターと小麦の匂いが、風に乗って流れてきた。まるで呼び寄せられるように、その香りの方へ足を向けると、墨田区・浅草通り沿いにひっそりと佇む、小さなパン屋に辿り着いた。「塩パン屋 パン・メゾン すみだ浅草通り店」――店先には焼きたてのパンがずらりと並び、ひっきりなしにお客が訪れては、トレーを手に次々とパンを選んでいく。その姿を見ているだけで、なにやら胸が高鳴ってくる。 店の扉を開けると、ふわりと包み込むような香りが全身を包んだ。小麦と発酵バターが混じり合ったこの香りは、どこか懐かしく、そして抗いがたい。レジの横には焼き上がったばかりの塩パンが山のように積まれており、湯気を立てて輝いている。小ぶりで素朴な見た目だが、その一つ一つに職人のこだわりと誇りが感じられた。 「焼きたてです!」という店員の声に背中を押されるように、気がつけばトレーに塩パンを2つ乗せていた。会計を済ませ、店先のベンチに腰を下ろす。手にした塩パンはまだほんのりと温かく、指先にやさしい熱が伝わってくる。まずはひと口――。 ……やばい。これは、ただのパンじゃない。 外は薄い皮がパリッと焼き上がり、内側はふわふわ、そしてしっとりとした生地が層になって舌の上でほどけていく。噛むたびに、バターの濃厚な香りと塩のシャープなアクセントが絶妙なバランスで広がり、脳の奥がじんわりと痺れるような快感に包まれた。塩の加減が絶妙で、ただの甘い香りのパンではなく、しっかりと「味わう」パンに仕上がっているのだ。 二口、三口と進むうちに、気がつけば一個目はあっという間に消えていた。バターが染み込んだ生地の底はほんのりカリッと香ばしく、焼きたてならではの心地よい食感。まさに“焼きの瞬間”を逃さず食べた者だけが味わえる特権である。二個目を手に取るとき、少し躊躇いがあったが、その香りに抗える人間が果たしているだろうか。答えは、否だ。 店の周囲では観光客がスマホを片手に写真を撮っていたが、私はそれには目もくれず、ただ塩パンと向き合う。まるで一杯のコーヒーと対話するように、この一つのパンの中に込められた時間と情熱を噛みしめた。沢木耕太郎が旅先でふと立ち寄った喫茶店で、一杯のコーヒーに心を奪われたように、私もまたこの塩パンに心を持っていかれてしまったのだ。 パン・メゾンの塩パンは、一見シンプルに見えて、計算し尽くされた完成度を持っている。バターの質、塩の分量、生地の折り込み具合、焼き上げのタイミング――どれか一つでも欠ければ、この味は生まれないだろう。店内の奥では、次の焼き上がりを待つパンが静かに膨らみ、職人たちの手がせわしなく動いていた。その光景は、まるで舞台裏を垣間見るようで、見ているだけで心が温まった。 気がつけば、通りを行き交う人々の喧騒も、車の音も耳に入らなくなっていた。目の前にあるのは、塩パンと自分だけ。ひとつのパンで、こんなにも心が動かされるとは思ってもみなかった。これが「やばいくらい旨い」という言葉の真意だろう。 浅草観光の途中に立ち寄るのもいい。だが、わざわざこの塩パンを目的に足を運ぶ価値がある。むしろ、そのためだけに訪れるべきだとさえ思う。派手さはない。しかし、真の美味しさは往々にして、こういう素朴な一品の中に潜んでいる。

1回

VISSLA CAFE

九十九里町その他/カフェ

3.31

33

-

¥1,000~¥1,999

定休日
水曜日サイトの性質上、店舗情報の正確性は保証されません

昼の点数:4.3

VISSLA CAFE ― 海辺の午後を切り取ったような一杯のカフェ・オ・レ 海沿いのドライブを終えたあと、人はなぜか温度差のある場所を求める。 潮風で少し乾いた肌に、冷たい飲み物の一撃を与えたい。そんな衝動に背中を押されるようにして、友人と立ち寄ったのがこの「VISSLA CAFE」だった。 店に足を踏み入れた瞬間、まず目につくのは壁一面に飾られたアートだ。油絵、写真、抽象画。色は強いのに、どこか海の静けさを内包している。無造作に打ち付けたように見える木材の壁が、作品たちを包み込むように暖かい光を放っている。サーフボードが壁に立てかけられているのを見れば、この店が海と人の往復運動の間にひっそりと存在していることがわかる。 カウンターで注文をすませ、席につく。友人が向かいでスマホを置き、肘をつきながら「ほんま落ち着くな、ここ」とつぶやいた。 たしかに、その一言に尽きる。 店内の音楽はさりげなく、木目の香りが鼻をくすぐり、窓の向こうには風に揺れるヤシの葉。都会のカフェが作る人工的なオシャレとは違う、“海辺の無造作な余裕”のような空気が漂っている。 ほどなくして運ばれてきた冷たいカフェ・オ・レは、透明カップの壁に淡いグラデーションの影を落としていた。ミルクにコーヒーが沈み込むときの、あのゆっくりとした境界線。その境界がここではそのまま静止画のようにとどまり、光に照らされては微妙に揺れ動いている。 ひと口飲むと、驚くほど柔らかい。 コーヒーの主張は控えめで、ミルクの甘さが先に来る。けれども舌の奥に残る微苦味が、「ただの甘い飲み物」には終わらせない。海風のように後味が早く引き、もう一度口に運びたくなる。友人と会話の合間、何度もストローに手が伸びてしまうのは、その軽さが理由だろう。 天井を見上げると、梁のむき出しの木材が力強い影を落としていた。 その下で談笑する若いカップル、パーカー姿でパソコンを叩くフリーランスらしき男、サーファーのような日焼け肌の兄ちゃんたち。 それぞれが“ここに居る理由”を持っているのに、互いに干渉せず、ただゆるやかに空間を共有している。まるで海辺の波のリズムのように、客たちの呼吸が調和しているのが不思議だ。 外を眺めると、テラス席に緑色のパラソルが開き、風がカップの表面を通り抜けるように軽やかに吹いていた。 海の街に来たとき、「ああ、こういう場所でゆっくりできたら」と誰もが想像する“理想の午後”が、そのまま現実化したような景色だ。 木のテーブルの上にはケチャップやマスタード、紙ナプキンのタワー。それらがカフェらしさとアメリカ西海岸の軽さを同時に演出している。 雑貨と衣類が売られているのもいい。サーフ系ブランドのTシャツ、バッグ、キャップ。絵画の前で商品を見ると、どこかギャラリーに迷い込んだような錯覚すらある。 冷たいカフェ・オ・レを飲み干すころには、海風の音と店内のざわめきがひとつに混ざり、友人との会話もゆるやかになっていた。 この店の魅力は、飲み物の味以上に“空気の余白”にある。 何かを語る必要もなく、かといって沈黙が重くなることもない。 海のそばで生きる人たちが共有する、あのゆったりとした時間の流れが、この店には確かに宿っている。 店を出るとき、ふと振り返った。 壁の絵画が夕方の光を吸い込みながら、それぞれの色を微かに変えつつあった。 あの冷たいカフェ・オ・レの余韻が、いつまでも口の奥に残っている。

2025/11訪問

1回

肉のウヱキ 代々木店

代々木、南新宿、北参道/居酒屋、肉料理、食堂

3.50

75

¥3,000~¥3,999

¥1,000~¥1,999

定休日
-

夜の点数:4.2

代々木駅から少し歩いた先に、灯りのようにぽつんと浮かび上がる看板がある。 「肉のウヱキ」。 その名を聞くたび、どこか職人の呼吸が染みついた店なのだろうと勝手に想像してしまう。だが、実際に扉を開けてみると、その予感は裏切られないどころか、むしろ期待を超えてくる。 この日は仕事のパートナーと、少し遅い時間の打ち合わせを兼ねて店を訪れた。 料理の香りと人のざわめき、温かい照明が混ざりあった店内は、妙に落ち着く。 繁盛しているのに落ち着くというのは、不思議な感覚だ。 あれはきっと、空間そのものが“気取らない安心感”に包まれているからだろう。 まず手にしたのは、瓶入りのハイリキ。 昭和の香りを残したボトルは、どこか懐かしさを覚える。 氷がカランと音を立てた瞬間、昔、親父の横で聞いていた同じ音が頭をよぎった。 時代は変わっても、この音だけは変わらないらしい。 グラスを口に運ぶと、炭酸の刺激が舌の上で小さく弾けた。 飲み慣れた味なのに、なぜか今日は新鮮だった。 おそらく、この後に待っている料理たちへの期待が、味を少し華やかに演出していたのだと思う。 テーブルに運ばれてきたのは、山のような手羽先。 表面は黄金色の衣がパリッと音を立て、噛むと肉汁がじわりと広がる。 皿の上で無造作に盛られているようで、実は一つひとつが計算された揚げ具合なのだろう。 油を使いながらも重さを感じさせないのは、職人仕事の証だ。 続いて姿を現したのは、肉屋の誇りを感じさせるメンチカツ。 ひと口かじると、サクッという軽快な音の先に、ぎゅっと詰まった肉の旨さが押し寄せる。 中から溢れ出る肉汁は、まるで逃げ場所を探しているかのように熱く、そして甘い。 こんなメンチに出会えるのは、そう多くない。 そして思わず笑ってしまったのが、もやしの山。 ただの前菜に見えるが、上にかかった香味ダレが秀逸だった。 口の中をリセットしながらも、次の肉を美味しく迎える準備をしてくれる。 料理というのは、こういう“つなぎ”の一皿で店の力量がわかる。 さらに、ほうれん草のサラダには半熟卵がどんと構えている。 香ばしいベーコンの歯ごたえがアクセントになり、サラダとは思えぬ満足感があった。 野菜だけで終わらせない、肉の店らしい一皿だ。 だが、この店で最も印象に残ったのは、接客だった。 とくに、若い女性店員の丁寧な物腰と気配りは特筆すべきものがある。 注文のタイミング、皿を置く手元、目線と笑顔── どれもが自然で、店を良くしたいという気持ちが溢れていた。 忙しい時間帯なのに、まるで客一人ひとりを丁寧に見ているような接客。 “教育が行き届いている”という言葉では片付けられない温かさがあった。 料理が美味しい店は数えきれない。 だが、「また来たい」と思わせる店は限られている。 肉のウヱキ 代々木店は、まさにその希少な一軒だ。 料理の旨さ、心地よい空気、そして質の高い接客。 そのすべてが揃った瞬間、人は店に“居心地”を感じる。 店を出るころには、外の夜風が心地よかった。 一緒にいた仕事仲間も、「ここ、また来たいですね」と言った。 それはきっと、旨い肉だけの話ではない。 この店の“人の温度”こそが、その言葉の正体なのだと思う。

2025/11訪問

1回

アルハムブラ

西日暮里、日暮里、新三河島/スペイン料理、ワインバー、バル

3.44

147

¥5,000~¥5,999

-

定休日
-

夜の点数:4.2

西日暮里の駅を出て、坂を少し下る。喧騒が遠ざかるころ、ふと目に入る地下への階段。小さな看板に「アルハムブラ」とある。扉を開けると、そこは東京ではない。赤と黒のコントラスト、異国の香辛料の匂い、そして静かに流れるギターの旋律が、スペインの夜をそのまま閉じ込めたようだった。 まず運ばれてきたのは、生ハム。皿の上に並ぶイベリコの薄片が、照明の下で宝石のように艶めいている。指先でつまみ、舌の上に置いた瞬間、脂が音もなく溶け、濃厚な旨みと熟成の香りが広がった。塩味は控えめで、肉の甘さが際立つ。その一口で、長い年月と乾いた風の記憶が舌に刻まれる。 次に出てきた牛肉のシチューは、圧倒的だった。フォークを入れた瞬間に肉がほろりと崩れ、ソースの海に沈んでいく。赤ワインと香味野菜が溶け合い、舌の上でひとつの物語になる。煮込みの奥には、シェフの几帳面な仕事と、時間への信頼が感じられた。焦がし玉ねぎの甘みが余韻を残し、ワインをもう一杯と誘う。 そのワインは、スペイン産の深紅。グラスを傾けるたび、光が揺れ、香りが立ち上る。果実の甘みとタンニンの渋みが絶妙な均衡を保ち、まるで人生の苦味と喜びのように口中で溶け合う。隣で飲む仕事のパートナーが、ふと笑って言った。「ここ、最高だな。」 その一言が、料理の余韻と混ざり合い、静かな幸福感に変わっていった。 この店の魅力は料理だけじゃない。空間そのものが“物語”だ。赤い壁、木製のテーブル、奥のステージには、フラメンコの演者たちが息づいている。踊りが始まれば、床を打つ靴音が鼓動のように響き、ワインの香りと混ざって空気が震える。 その瞬間、客もスタッフも一体になり、東京の地下に小さなスペインが生まれる。 夜が更けるにつれ、グラスの赤は深く沈み、会話はゆるやかに流れていく。ビジネスの話も、夢の話も、ここでは自然に口をついて出る。不思議と心が開くのだ。料理の温もりが、人の距離を縮める。 気づけば終電の時間。外に出ると、冷たい夜風が頬を撫でた。それでも胸の奥には、まだあの赤ワインの余韻が残っている。 ──西日暮里「アルハムブラ」。 スペインの情熱と日本の静けさが交差する場所。 仕事の疲れをほどきたい夜、あるいは誰かと心を通わせたい夜に、 この店の階段を静かに降りてみてほしい。 赤い光の中で、もうひとつの夜が始まる。

2025/10訪問

1回

レストラン シェ・マシオ

曙橋、若松河田、四谷三丁目/フレンチ

3.08

19

-

¥1,000~¥1,999

定休日
-サイトの性質上、店舗情報の正確性は保証されません

昼の点数:4.1

曙橋という街は、午後になると都会の喧騒と下町の静けさが奇妙に同居する。 その細い通りを抜け、パールホテルの一階にある「シェ・マシオ」に入ったのは、仕事の打ち合わせを兼ねた四人での会食のときだった。軽口を交わしながら歩いていたはずなのに、店の前に立つと、誰もが自然と声を落とした。ガラス越しに見える白いクロス、整ったテーブルの配置。そこに流れる空気が、どこか旅の途中で立ち寄った小さなフレンチのようで、背筋が少し伸びる。 扉を開けると、店内は昼の柔らかな光に包まれていた。木目のテーブルと窓際の緑が落ち着きを添えている。派手さはないが、肩肘張らずにフレンチの時間を楽しめるような、そんな絶妙な温度がある。 席に案内されると、ちょうどランチのピークが過ぎた頃で、店内は静かだった。 静寂というより、穏やかな余白。 その余白が、会話を柔らかくし、人の表情を少しだけ優しくする。 今回いただいたのは、焼き目の美しい白身魚のソテー。 皿に置かれた瞬間、思わず目を奪われた。こんがりと焼けた皮の香ばしさ、添えられたラディッシュやパプリカの鮮やかさ。 そして何よりも、皿の中央に広がる淡いオレンジ色のソースが印象的だった。 ナイフを入れると、皮がぱりりと音を立てた。 その下からはふっくらとした白身が顔をのぞかせる。 口に運ぶと、まず広がるのは皮の香ばしさ。そして遅れて、魚そのものの優しい甘みがふわりと舌の上にとろける。ソースはクリームのように柔らかく、それでいてしつこさはなく、魚の輪郭を壊すことなく包み込んでくれる。 添えられた野菜も印象的だった。 特に細長いラディッシュの火入れが見事で、シャキッとした歯ごたえを残しながら、土の香りをほのかにまとっている。 パプリカや葉物の彩りは皿をより豊かにし、四人分の会話のテンションをほんの少し上げてくれた。 仕事の話をしながら箸を進める。 時に熱を帯び、時に静かになりながら、四人で交わす会話には、料理が知らぬ間にリズムを作ってくれていた。 旨い食事というのは、不思議と人間関係を丸くする。 相手の言葉が少しだけ柔らかく聞こえ、自分の話す声もどこか落ち着いてくる。 その心地良さは、シェ・マシオという空間と、皿から立ち上る温度に支えられていたのだと思う。 食後、ふと肩の力が抜けるような感覚があった。 料理そのものの美味しさだけではなく、店の雰囲気、スタッフの気遣い、窓際の光。そうしたすべてが “食事の時間” を一つの作品のように形づくっていた。 外に出ると、曙橋の風が少しだけ冷たかった。 だが、胃の奥には魚の温かさが残り、心には打ち合わせがうまく進んだ手応えと、軽い満足感が宿っていた。 ——また来よう。 そう自然に思える店があることは、街に住む者にとって大きな救いだ。 シェ・マシオ。 派手さはないが、確かに“良い時間”を提供してくれる、大人の昼にちょうどいい場所だ。

2025/12訪問

1回

バンコク屋台カオサン イイトルミネ新宿店

新宿、新宿三丁目、新宿西口/タイ料理、アジア・エスニック、カレー

3.47

244

¥1,000~¥1,999

¥1,000~¥1,999

定休日
-

昼の点数:4.1

新宿駅の雑踏を抜けると、 ふと遠い国の湿った風が頬に触れたような錯覚を覚える時がある。 ビルの隙間を縫って、どこからかスパイスの匂いが流れてくるのだ。 ああ、今夜はどうしてもあの香りに呼ばれている—— そんな気配がして、イイトルミネの奥へと足が向いた。 「バンコク屋台カオサン」。 店名を見た瞬間、あのカオサン通りの喧噪が脳裏によみがえる。 バックパッカーたちの笑い声、 屋台の鉄板が鳴らす軽快な音、 夜風に混じるライムとパクチーの刺激的な香り── そんな旅の断片を思い出しながら、扉を押した。 中に入れば、そこはまるで新宿という現実から一段降りた“異国の溜まり場”のようだ。 赤いチェックのテーブルクロス、 壁に貼られたタイのビール広告、 そしてどこからともなく漂うココナッツミルクの甘い香り。 旅心をくすぐるには十分すぎる演出に、思わず息がほどけていく。 今夜は相棒と二人、 仕事の話から人生の話へ、 そしていつの間にか笑い話に変わっていく、 そんな肩の力が抜けた時間を久しぶりに味わおうと思った。 最初に運ばれてきたのは、 真っ赤なスープの表面がほのかに煌めくトムヤムヌードル。 レンゲを近づけただけで、 レモングラスと唐辛子の鋭い香りが鼻腔を刺激する。 その匂いを吸い込んだ瞬間、 旅先で灼けた陽光の下で食べた屋台の一杯がフラッシュバックする。 スープを口に含む。 荒々しい辛さの中に、ふっとした甘みが潜んでいて、 まるで旅の途中でふと出会う優しさのようだ。 麺をすすれば、パクチーの青い香りがふわりと鼻を抜け、 上に乗ったカリッと焼けた豚肉が、 この一杯をしっかりした“食事”として成立させている。 スパイスが体の奥に火を灯すような感覚が心地いい。 そして横に控えていたジャスミンライス。 日本の米とは違う、細長い粒が立つタイ米。 香り高く、さらりとしていて、 スプーンで口に運べばほんのりとした甘さが広がる。 辛さをまとった口の中を、 この一口がそっと整えてくれる。 料理の主役ではないが、旅には欠かせない“友人”のような存在だ。 さらにテーブルに置かれた、 淡い緑のスープが印象的なグリーンカレー。 茄子がとろりと崩れ、 ココナッツミルクの濃厚さの中にピーマンの爽やかさが混ざる。 鶏肉の柔らかさも申し分なく、 辛さと甘みの調和が見事だった。 スプーンを口に運ぶたび、 タイの湿った夜風を背中に受けながら食べた記憶が蘇ってくる。 そして、忘れてはいけない相棒── シンハービール。 キンと冷えたグラスに注ぐと、 黄金色の泡が静かに立ちのぼる。 喉を鳴らして流し込めば、 たちまちスパイスの熱がすっと引き、 代わりに透明な爽快感が全身を駆け抜ける。 この一瞬のために辛い料理を選んだのだと、 そんな気分にさえなる。 気づけば相棒と二人、 仕事で張り詰めていた心の糸がふっと緩んでいた。 新宿の喧騒を忘れ、 ただテーブルの上に並ぶ料理だけと向き合う、 そんな素朴で贅沢な時間。 旅に出かけなくても人は旅の続きを味わえるのだと思わせてくれる一軒だった。 店を出ると、外は夜の新宿。 だがどこか心の中は軽く、 ほんの少しだけ異国の風をまとっているような気がした。

2025/11訪問

1回

静岡バール丸々 御徒町店

末広町、御徒町、上野広小路/バル、おでん、居酒屋

3.36

76

¥4,000~¥4,999

¥2,000~¥2,999

定休日
-

夜の点数:4.1

御徒町という街は、どこか東京の雑多さと庶民性を同時に抱え込んだ独特の匂いを纏っている。その駅前の喧騒を抜け、ふと立ち寄ったのが「静岡バール丸々 御徒町店」だった。昼時の明るい光に照らされた店内は、木の温もりと程よいざわめきに包まれ、初めて訪れる者でもどこか懐かしさを感じさせる。 その日は仕事の打ち合わせを兼ねたランチであった。だが、食事の場というのは単なる腹を満たすためのものではない。食材の香り、皿に盛られた色彩、そして口の中で広がる旨味が、人と人との会話に柔らかな潤滑油を注いでくれる。そんな空間を求める時、この店はまさに最適だった。 静岡と名のつくバール。想像の中で浮かんでいたのは駿河湾の海の幸や、豊かな大地で育まれた野菜や肉。それらが東京の真ん中に持ち込まれ、イタリアンのニュアンスと混じり合うことで生まれる料理は、想像以上に力強く、そして繊細であった。 ランチの皿に並んだ料理は、ひと口ごとに静岡という土地の輪郭を描き出していく。新鮮なトマトの甘味は、日照豊かな畑を想わせるし、肉料理に添えられた香草は、駿河湾に吹く潮風とどこか共鳴しているように感じられる。打ち合わせをしながらも、思わず手を止め、その旨さに頷いてしまう瞬間が何度もあった。 料理だけでなく、店の空気が心地よい。スタッフの立ち居振る舞いは過度に干渉することなく、しかし確実に客の求めを先回りしている。冷えたグラスに注がれたドリンクが、打ち合わせの合間に心を解きほぐす。人は、食事の場において、料理の味以上にその「間合い」に癒されるのかもしれない。 御徒町という街に漂う雑多な喧騒の中で、この店は静かに、だが確かに「上質な余白」を提供してくれる。会話は時に熱を帯び、時に沈黙を抱え込む。そのどちらも、この店のランチは受け止めてくれる。 食べ終わった頃には、腹も心も満ち足りている。打ち合わせの内容がうまくまとまったのも、料理と空間が自然と流れを導いてくれたからだろう。外に出れば、再び都会のざわめきが押し寄せる。だが、その余韻はしばらく続き、午後の仕事を前向きにさせる力を与えてくれる。 「静岡バール丸々 御徒町店」。ただのランチではなく、時を共有する「場」としての力を持つ店。御徒町の雑踏の中に、こんな静かなオアシスがあることに気づけたのは幸運だった。

2025/09訪問

1回

酒ト肴 さしすせそ 東通り店

東梅田、梅田、大阪梅田(阪急)/居酒屋、寿司、創作料理

3.09

145

¥2,000~¥2,999

¥2,000~¥2,999

定休日
-

夜の点数:4.1

大阪の夜の街を歩けば、どこからともなく漂ってくる焼き魚の香り、鉄板の上で弾ける油の音、そして通りの奥で笑い声が重なり合う。そんな喧騒のただ中に「酒ト肴 さしすせそ 東通り店」はあった。繁華街のネオンに負けぬよう、控えめながらも確かな存在感を放つ提灯が揺れ、暖簾をくぐった瞬間に、僕の心はすでに解き放たれていた。 「とにかく安くて旨い」——この言葉を体現するような空間だった。まずはハイボールで乾杯だ。グラスに注がれた琥珀色の液体は、氷と炭酸が織り成す音楽を奏で、喉に滑り込んだ瞬間に一日の疲れをすべて吹き飛ばす。乾いた喉に沁みわたる冷たさの中に、ほんのりとしたウイスキーの余韻が残る。仲間と顔を見合わせて笑い合うと、店全体の空気がぐっと自分たちのものになったような気がした。 壁に貼られた短冊のメニューには、気取らぬ言葉が並んでいる。「ポテサラ」「出汁巻き」「唐揚げ」——どれも馴染み深いが、ひと手間かけた風情を漂わせている。出てきた料理はどれも小皿に盛られ、箸を伸ばせばすぐに消えてしまうほどの軽やかさ。それがまた次の一品を呼び込み、酒をさらに進めるのだ。 例えばアジの南蛮漬け。しっかりと酢が効きながらも、角の取れたまろやかさがあり、噛みしめるごとに魚の旨みが浮き上がってくる。あるいは厚揚げの煮物。出汁の香りに包まれたやさしい味は、家庭の食卓にあるようでいて、決して家庭では真似できぬ深みを持っていた。 安さという言葉は、時に味気なさを連想させるが、この店では違った。安いからこそ遠慮なく頼める。そして頼むたびに舌が喜び、心が踊る。仲間との語らいの輪は、酒と肴によって何度も広がっていった。 ふと耳を澄ますと、隣のテーブルでも笑い声が絶えない。会社帰りのサラリーマン、若いカップル、そして地元の常連らしき人々。彼らが一堂に会し、同じ空気を共有していることこそ、この店の魅力なのだろう。高級店では得られない親しみ、肩肘張らずに過ごせる安心感がここにはある。 グラスを重ねるたびに、僕たちの時間は濃密になっていった。時計の針は確かに進んでいるはずなのに、体感ではゆるやかに流れていく。ハイボールの爽快感と肴の旨みが、時の歩みをやわらかくしてくれるのだ。気がつけば、テーブルの上は皿とグラスで埋め尽くされ、笑い声は最初よりもさらに大きくなっていた。 「酒ト肴 さしすせそ 東通り店」。名前の通り、酒と肴があれば人は満たされる。その真理を、この夜僕は改めて実感した。安くて旨い、そのシンプルな力強さが、僕らの心を解きほぐし、また明日を生きる糧となる。ここは豪華さを求める場所ではない。しかし、仲間と笑い合い、肩を並べ、安らぎを求めるには、これ以上ないほどふさわしい場所だ。 扉を出ると、東通りの喧騒が再び押し寄せてきた。しかし、胸の奥にはまだハイボールの余韻と、肴の味わいが静かに残っていた。それは確かに、僕を幸福にした夜の証拠だった。

2025/09訪問

1回

インド&タイ料理専門店 Surya Royal Garden  錦糸町店

錦糸町、住吉/インドカレー

3.28

44

¥2,000~¥2,999

¥1,000~¥1,999

定休日
-

夜の点数:4.0

駅構内に潜む、小さな旅の入り口** 錦糸町駅の構内は、いつだって忙しない。 人の足音が絶えず、誰かが急ぎ足で電車へ向かい、誰かが改札へ吸い込まれていく。 通勤と帰宅が交差する、街の心臓のような場所だ。 その雑踏の片隅で、ふと立ち止まらされる香りがある。 スパイスが混ざった、懐かしいようで知らない匂い。 その源が「Surya Royal Garden」だ。 黄色の看板が構内の明かりに照らされ、遠くからでも妙に存在感がある。 駅の店舗とは思えないほど、南国特有の彩度と熱が感じられるのだ。 仲間と店に入ると、外の寒さを忘れるほどの温度に包まれる。 カレーの湯気と、鉄板の焦げる音。 それは、電車の発車ベルとは違う種類の“旅の始まりの合図”のように思えた。 まずはハイボールを頼む。 駅構内で飲む酒は、どこか“途中”の匂いがする。 今日が終わりきっていないまま、少しだけ区切りをつけるような一杯だ。 氷の触れ合う音が喉から胸へ流れ落ち、全身にじんわりと広がる。 そこへ、渦を描くカレーが運ばれてきた。 オレンジ色の湖面に白いクリームが漂い、まるで乗り換え案内の光の軌跡のようだった。 ひと口食べると、甘さのベールの奥に、じわりと広がる辛さ。 スパイスが時間差で立ち上がり、まるで異国の湿気を帯びた風が吹いてくるようだ。 ライスはふっくらと立ち、カレーを引き立てる控えめな存在。 口に入れるたび、駅の喧騒がすっと遠ざかる。 不思議だ。ここは間違いなく錦糸町駅の構内なのに、スプーンを運ぶたびに、頭の中では見知らぬ町の景色が揺れ始める。 次に、ジュウジュウと音を立ててタンドリーチキンが運ばれてくる。 鉄皿から立ち上る湯気が、まるで汽車の煙のように漂い、思わず顔を近づけてしまう。 外側のスパイスが香ばしく焦げ、中は驚くほど柔らかい。 歯を入れた瞬間にあふれる肉汁が、電車の振動のように身体へ響いてくる。 トマトスライスは、スパイスの熱をふっと冷ましてくれる清涼剤だ。 軽い酸味と甘さが舌の上をすべり、食べ疲れを優しく整えてくれる。 そしてマンゴーラッシー。 甘さの奥に南国のねっとりしたコクがあり、駅の蛍光灯の色がそのグラスの中だけ暖色に見えるほどだ。 店を出ると、再び人の流れと騒音が押し寄せてくる。 先ほどまでのスパイスの熱とハイボールの余韻は、まだ身体のどこかで混じり合っていた。 ふと見上げると、電車がホームに滑り込んでくる。 その車両の窓に映った自分の顔が、ほんの少し赤く見えたのは、きっとカレーのせいだけではないだろう。 旅は、遠くへ行くことだけではない。 駅構内の片隅で、仲間と食べる熱い料理の中にも、確かに旅がある。 Surya Royal Garden は、そんな“日常の途中に差し込む冒険”をそっと用意してくれる店だった。

2025/12訪問

1回

バビーズ ヤエチカ

東京、京橋、日本橋/カフェ、ステーキ、ハンバーガー

3.53

1209

¥2,000~¥2,999

¥1,000~¥1,999

定休日
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昼の点数:4.0

東京駅の地下に広がる迷宮のような通路を抜けると、アメリカのダイナー文化をそのまま持ち込んだような店がある。ヤエチカの喧騒のなか、ひときわ温度の違う空気が漂っている。僕は仲間と並んで座り、その空気の中に身を沈めた。 テーブルの上には、クリーム色の木肌に年月が刻まれたような模様が走っていた。 その上に置かれたアイスコーヒーのグラス。赤いストローが、まるで今日の出来事を一本の線で結ぶように、真っすぐ氷の中へ差し込まれている。 コーヒーの表面には細かい泡が寄り添うように張りつき、目を凝らすと、駅の照明が小さく反射して揺れた。 まずはひと口、アイスコーヒーを啜った。 冷たさが喉を通ると、地下街の湿った空気がふっと軽くなる。深いコクと香ばしさの奥に、妙に優しい甘みが隠れていて、ハンバーガーという主役の脇に立ちながらも、確かな存在感を示してくる。 こういう“当たり前のうまさ”がある店は、地味に信頼できる。そんな気がした。 ほどなくして、皿が運ばれてきた。 見上げるほど厚いバンズ、皿の端にたっぷり盛られたレタス、そして存在を主張するパティ。 ナイフで切るのをためらうほど美しく重なっていて、うまさが目に見える形でそこにある。 仲間が頼んだチキンバーガーは、衣がざくりと音を立てそうなほどに揚げたてで、赤みを帯びたチリソースが表面を艶やかに濡らしていた。辛味と甘味が一瞬で舌の上で交差し、その直後にチキンの旨みがワンテンポ遅れて追いかけてくる。 その“時差”がなんとも心地よく、まるで旅行で味わうサプライズのようでもある。 僕の皿にはフレンチフライが積み重なっていた。 それぞれ形が少しずつ違い、揚がり具合も微妙に差がある。そのアンバランスさが逆に魅力で、カリッとしたものを選んだり、しっとりしたものを選んだり、口に運ぶたびに食感の旅が続く。 こういう乱雑さは、丁寧なチェーン店にはない“生きた味”だ。 そしてハンバーガー本体。 バンズを軽く押し込んだ瞬間、肉の弾力が返ってくる。 かぶりついた途端、肉汁がひと筋、皿の上に落ちていった。 パティのスモーキーさに、ソースの濃厚さ、トマトの酸味、レタスの軽やかさが次々と混ざり合い、口の中で風景をつくる。 まるでニューヨークの街角でハンバーガーを頬張っているような錯覚に陥る。 それくらい、ここバビーズのハンバーガーには土地の匂いがあった。 カウンターの奥では、若い女の子の店員がテキパキと動いていた。 注文を取るときも、料理を運んでくるときも、邪魔にならない距離感で自然に寄り添ってくれる。 その接客がこの店の空気をつくっているのだろう。 どこか“アメリカン”なのに、人のあたたかさがちゃんと残っている。 東京によくある無機質な接客ではなく、ほんのわずかな柔らかさを含んだやり取りが、料理の美味しさをさらに際立たせていた。 食べ終わる頃には、皿の上に散ったフライの端切れまでが名残惜しく感じられた。 ハンバーガーという食べ物は、ただのジャンクフードではない。 肉と野菜とパンの重なりの中に、その店の哲学や、調理人のリズムや、食べる人の記憶までが刻まれる。 バビーズ ヤエチカの一皿は、まさにそんな“物語のあるハンバーガー”だった。 仲間と食べる高級バーガーは、腹を満たすだけのものではない。 笑い声、会話、軽い冗談、そしてほんの少しの満足感――。 それらを全部まとめて“旅の一場面”として残してくれる。 東京駅の地下で、こんな豊かな時間を過ごすとは思っていなかった。 帰り際、店の木製の壁をふと見た。 少し傷ついたその表面が、この店を訪れた人々の歴史を語っているように思えた。 次に来るときも、きっと同じアイスコーヒーと同じハンバーガーを頼むだろう。 そう思わせる店は、多くない。 ――今日も一杯のコーヒーと一個のハンバーガーが、僕の旅路に小さな彩りを添えてくれた。

2025/12訪問

1回

ダリカレー

西武新宿、新宿西口、新宿三丁目/バー、カレー

3.15

25

¥2,000~¥2,999

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定休日
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夜の点数:4.0

深夜を越え、街の灯りが少しずつ色を変えはじめる頃、歌舞伎町という街は妙に静かになる瞬間がある。夜の喧噪が一度吐き出され、朝の気配がまだ追いついてこない“間(ま)”の時間。そんな隙間にふらりと入り込むと、酔いのまま身体が勝手に導かれるように一軒のカレー屋に辿りつく。それが「ダリカレー」だった。仲間と朝まで飲み歩き、腹の底に何か温度のあるものを落とし込みたくなる、そんなタイミングだった。 銀色のステンレス皿に広がるカレーは、赤い。いや、“赤い”という言葉よりも、もっと血の通った色をしている。照明のせいでさらに妖しく輝いて見えるが、スプーンを入れた瞬間、その赤の奥に眠っていたスパイスの香りが立ち上がった。酔いが一瞬だけ醒める。まるで、どこか遠い国の市場で立ち止まったときに感じる、あの乾いた香辛料の熱さに似ていた。 口に運んでみると、最初にくるのは鋭い刺激ではない。むしろ、柔らかな旨味がじわりと広がり、遅れてスパイスの刃先が舌の横をスッとかすめていく。そのバランスが絶妙だ。深夜明け方という時間帯にちょうどいい。重すぎず、しかし軽くもない。酔った胃袋を責め立てることなく、そっと目を覚まさせる。“ギリギリの優しさ”を持ったカレーと言ったらいいだろうか。 ライスの白さがまた、この赤を引き立てる。スプーンで両方をすくい上げた瞬間、まるで赤と白のコントラストがひとつの物語のように見えた。夜と朝の境界線。その曖昧な時間を、そのまま皿の上に写し取ったようだった。 そして、横に置かれたグラス。氷の音が、静かにチリンと鳴る。その響きがこの一杯に拍子を与える。冷たさの中にわずかに残る、先ほどまでの酒の余韻。だがそれすらも、このカレーの熱がゆっくりと溶かしていく。飲み歩いた歌舞伎町の夜が、この皿の前で一本の線になっていくのを感じた。 周囲を見渡すと、店内の照明はどこかレトロで、少し怪しげで、それでいて落ち着く色をしている。多くの人が素通りしていく歌舞伎町の朝方で、ここだけは時間が止まったような感覚があった。人の気配が薄れるこの街で、ときどきこうした“オアシス”のような店に出会う。その意外性が、また旅のようで、面白い。 カレー自体の味はシンプルだが、決して凡庸ではない。赤いルーの中に潜む複雑さは、深夜から朝へと繋がる人の心の揺らぎに似ている。刺激と温もり、醒めた感覚と続く酔い。そのどちらも抱えて歩く歌舞伎町の夜明けには、実にしっくりくるのだ。 仲間と笑いながらスプーンを動かし、気づけば皿はきれいに空になっていた。味そのものよりも、「どんな時間に食べたか」「誰と食べたか」が記憶に深く刻まれる料理がある。ダリカレーのそれは、まさにそういう類の一皿だった。 歌舞伎町が朝日に染まり、街の空気が変わっていく。眠りにつく者と、これから一日を始める者。そんな人々が交差する街で、このカレーは淡々と、しかし確実に、夜をまとめあげる役目を担っているように見えた。 酔いのなかの一杯だったからこそ、忘れがたい。 そしてきっと、次にまた朝まで飲んでしまったら、同じようにこの赤いカレーを求めてしまうのだと思う。

2025/12訪問

1回

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