「焼き鳥・串焼・鳥料理」で検索しました。
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新宿の雑踏を少し離れ、石畳を踏みしめるような気分で暖簾をくぐると、空気が一段柔らかくなる。車屋の2階へ案内される階段は、都会の喧噪をひとつずつ脱ぎ捨てていくような静けさをまとっていた。今日は仕事の相棒を含めた四人での昼食。忙しない日々の中にぽっかり空いた、小さな安息の時間だ。 席に腰を落ち着けると、まず運ばれてきたのは、凛とした姿の刺身皿だった。白磁の皿に一輪の花が咲くように、赤身のまぐろと白身がそっと並び、食用菊の黄色が鮮やかな対比を生んでいる。切り口の光沢が美しく、まぐろはしっとりと深い色を湛え、白身はその透明感の奥に、職人の確かな包丁の冴えを感じた。口に運んだ瞬間、ひやりとした冷たさと柔らかな甘みが広がり、体の奥に静かに沁みていく。これから始まる昼食の幕開けとして、そっと心を整えてくれるような一皿だった。 そして、今日の主役──すき焼きが卓上に姿を現した。鉄鍋から立ちのぼる湯気に、ほのかな甘い香りが混ざり、四人の視線が自然と吸い寄せられていく。肉は火の通りが絶妙で、脂身がふちでゆっくりと溶けていく。その上に瑞々しい三つ葉がふわりと散らされ、まるで冬の陽だまりを閉じ込めたような温かさがあった。 割り下の甘みと醤油の香りが鍋全体を包み込んでいるが、決して主張しすぎず、肉の旨味と野菜の香りをそっと支えている。箸で軽く持ち上げれば、肉はほろりと柔らかく、溶いた卵に落とした瞬間、その表面がとろりと滑らかに変わった。口に含むと、甘さ、旨味、熱、そして卵のまろやかさが一気に広がり、気づけば自然と目を閉じてしまう。 向かいの相棒が「これはうまいな」と小さく漏らす。普段は数字と計画ばかりを口にする彼が、こんなにも素直な声を出すのは珍しい。すき焼きには、人を素の状態に戻す力がある。温かさを介して、仕事仲間との距離がふっと近づく瞬間がある。 小鉢や漬物も、ひとつひとつが丁寧だった。サラダには小さな金柑が添えられ、ほのかな酸味と香りが口をリセットしてくれる。吸い物の中の麩は出汁を存分に吸い込み、噛むたびにじゅわりと旨味が広がる。どれも派手さはないが、手間を惜しまない料理人の心を感じる。 白米の粒立ちも素晴らしい。炊き加減が絶妙で、噛むたびに甘みが立つ。すき焼きの割り下を少し含ませるだけで、どれだけでも食べられそうな危険な旨さだ。 気がつけば、四人の話題は仕事から家庭の話、そして未来の計画へと自然に移っていた。すき焼き鍋の中央にある湯気が、まるで会話の潤滑油のように、言葉に柔らかさを与えてくれている気がした。 外に出ると、冬の風が少しだけ頬を刺す。しかし、体の芯には車屋の温かさがまだ残っていた。良い昼食とは、ただお腹を満たすだけではなく、人との距離を縮め、少しだけ前向きにさせてくれるものだ。 今日のすき焼きは、まさにそんな一杯だった。
2025/11訪問
1回
錦糸町の街を歩くと、夕刻の空気にはどこか湿った匂いが混じっている。駅前の喧騒を抜け、路地を少し曲がるとふと鼻をくすぐる香ばしい煙が漂ってきた。その煙の先にあったのが「鳥の小川」だった。暖簾をくぐると、炭の焦げる音とともに、店内にはほどよい熱気と人々の笑い声が満ちている。どこか懐かしく、しかし計算された空間。狭すぎず、広すぎず、肩が触れ合う距離が心地よい。 この夜は、古くからの仲間たちと集まった。久しぶりの顔ぶれに、少し早足で店に入った私は、すでにハイボールのグラスを片手に談笑する彼らの輪の中に自然と吸い込まれていった。カウンターの奥では、職人が無駄のない動きで串を焼き上げている。扇で炭の火を操るその手元はまるで舞いのようで、思わず目を奪われる。香ばしい煙がもう一段階強くなるたび、腹の底が鳴るのを感じた。 最初に出てきたのは、レバー。表面はしっとりと艶を帯び、中はトロリとした半生。ひと口含むと、炭火の香ばしさが舌の上で弾け、濃厚な旨味が静かに口いっぱいに広がっていく。これが本物のレバーかと、思わず箸を止めて目を閉じた。ハイボールを流し込むと、レバーの余韻とウイスキーの香りが交錯し、喉の奥で心地よい波をつくる。 続いて、正肉、ねぎま、砂肝、つくね……と定番の串が次々と卓に並ぶ。そのどれもが実直な味わいで、過剰な味付けなど一切ない。塩の振り方一つで肉の甘みを引き立て、炭の火加減だけで素材の力を引き出す。特に砂肝は、コリッとした歯ごたえの中にじんわりと肉汁が染み出し、噛むたびに快いリズムを刻む。思わずビールを追加で頼んでしまった。 仲間たちとの会話は尽きない。くだらない冗談や昔話に花が咲き、ふと気づくと時間の感覚が薄れている。店内の喧騒も、いつの間にか心地よいBGMのようになっていた。焼き場の職人がときおりこちらをちらりと見て、軽く会釈する。その視線に、どこか嬉しそうな誇りを感じた。 つくねは、ふんわりとした食感と香ばしい焦げ目が絶妙だった。表面はカリッと、中はふっくらジューシー。黄身を絡めて頬張れば、口の中に濃厚な旨味が溢れ出し、思わず「うまい」と声が漏れる。こういう瞬間に、人は言葉よりも顔で語るものだ。仲間の一人がニヤリと笑い、グラスを合わせた。 店の奥では、ひとり静かに焼酎を傾ける常連客の姿があった。誰も干渉しない。誰もが、それぞれの時間をこの空間の中で楽しんでいる。鳥の小川は、そんな「余白」のある店だと感じた。焼き鳥を食べるだけでなく、夜の呼吸そのものを味わう場所。派手な演出も、過剰な接客もない。ただ、炭火と鳥と人がそこにいる。それだけで十分なのだ。 気づけば、テーブルの上には串の山と空いたグラスがいくつも並んでいた。外に出ると、夜風がほのかに炭の香りを運んでくる。錦糸町のネオンが滲む中、ほろ酔い気分で歩く足取りは軽い。次はひとりでカウンターに座って、じっくりと焼きの技を眺めながら飲むのもいいだろう。そんな余韻を胸に、私は夜の街へと消えていった。
2025/10訪問
1回
金沢の街は、夜になるとしっとりとした艶をまとい、石畳に灯る光がどこか旅情を誘う。その夜、僕はひとりの女性を伴って「金沢旬菜 なごみや」の暖簾をくぐった。デートに店を選ぶのは、いつだって緊張を伴う。場所の雰囲気、料理の質、そして店の人柄――それらがうまく噛み合ってこそ、夜は記憶に刻まれる。 小さな引き戸を開けると、木の温もりに包まれた空間が広がっていた。派手さはない。だが、心を静かに落ち着けるような佇まいがある。カウンターの奥で迎えてくれた店長の笑顔が印象的だった。どこか安心感を与える雰囲気をまとっていて、こちらの緊張を解きほぐしてくれる。彼の声には、人を思いやる柔らかさが滲んでいた。こういう人柄に出会うと、料理への期待も自然と高まる。 席に着くと、まず頼んだのは刺身の盛り合わせだった。金沢は海に近い街である。その地の利を最大限に生かした刺身は、言うまでもなく新鮮そのもの。氷の上に美しく並べられた旬の魚たちは、宝石のように光を放っていた。口に運ぶと、身がほどけるように滑らかで、海の香りが広がる。特に鯛の切り身は、噛むほどに甘みが増し、舌の上で静かに存在感を示した。イカの透き通るような白さ、マグロの赤の鮮烈さ――色彩の対比が、視覚からも楽しませてくれる。彼女が「おいしい」と微笑む、その一言が、この店を選んだ自分を肯定してくれるようで、胸の奥に安堵が広がった。 料理を通じて二人の会話は自然と弾んだ。酒をすすめられ、地元の冷酒を口にしたとき、ひやりと冷えたその一口が、魚の旨味をさらに引き立てた。食材と酒が互いを高め合う瞬間こそ、旅先で味わう醍醐味だ。彼女がグラスを傾ける姿を見ながら、僕は「ここで過ごす時間が、長く記憶に残るものになるだろう」と確信していた。 なごみやの良さは、料理だけにとどまらない。例えば店内に流れる空気だ。賑やかすぎず、かといって静まり返ってもいない。適度なざわめきが二人の会話を守り、安心して心を開ける雰囲気をつくっている。店長が時折見せる気配りも心地よい距離感で、こちらの邪魔をすることなく、さりげなく飲み物の追加を促してくれる。その立ち居振る舞いに、この店の本当の価値を見たような気がした。 デートというのは、料理や場所だけでは成り立たない。そこに流れる空気、人の温かさが重なって、ようやく完成する。なごみやは、その三拍子が揃っていた。店を出る頃には、金沢の夜風が心地よく、街灯の下で交わした会話が、どこか甘美に響いた。彼女の横顔に灯る微笑みを見ながら、僕は心の中で「また必ず来たい」と思っていた。 なごみやは、ただ食事をする場所ではなく、大切な人と時を刻む舞台だ。新鮮な刺身の旨さに舌鼓を打ち、店長の人柄に癒やされる。そんな体験は、旅の記憶に確かな彩りを添えてくれる。この街を訪れる誰かに、心から勧めたい店のひとつである。
2025/08訪問
1回
浅草――。観光客でごった返す雷門から少し歩いた先、昼間から酒の匂いが漂うホッピー通りに足を踏み入れると、まるで昭和の時間がそのまま閉じ込められたかのような、不思議な空気が漂っている。軒を連ねる居酒屋の軒先では、提灯が風に揺れ、ジョッキを手にした人々の笑い声が通り全体を包み込む。ここに来るたび、東京という都市の奥深さと、人間の欲望が素直に顔を出す場所が、確かにここにあると感じるのだ。 そんな中で、ふと足を止めたのが「浅草酒場 岡本 ホッピー通り店」だった。昼下がりの陽射しが斜めに差し込む店先では、煙がもくもくと立ち上り、炭火の香ばしい匂いが鼻腔を刺激する。テーブルにはすでに何組もの客が陣取り、焼き鳥とホッピーで昼からいい具合に出来上がっている。観光客もいれば、地元の常連もいる。スーツ姿でネクタイを緩めた中年男性が一人、ジョッキを傾ける姿も見えた。昼間から酒を飲むという背徳感と開放感が、この街では自然なこととして受け入れられている。 仕事のパートナーと合流し、二人で席に腰を下ろす。注文したのは、まずはハイボール。キンと冷えたジョッキが手に伝わる感触が心地よい。一口目を喉に流し込むと、炭酸の刺激が体の隅々まで駆け抜けていく。昼間の空気とハイボールが混ざり合い、なんとも言えない解放感が胸に広がった。背後では観光客の英語が飛び交い、店員の威勢のいい声が響く。ここは国籍も肩書きも関係ない、一種の“無国籍酒場”なのだ。 焼き鳥がやってきた。香ばしい皮目がパリッと焼けたもも肉、脂がじゅわりと滴るねぎま、そしてタレの甘辛さが鼻をくすぐるレバー。炭火の熱で余分な脂が落ち、旨味だけが凝縮された一本一本は、まるでこの街の人々の人生そのもののように、無骨で、まっすぐで、力強い。タレを絡めた串を口に運び、ハイボールで流し込む。その瞬間、昼と夜の境界がふっと消える。時計を見ることを忘れ、ただ目の前の料理と会話に身を委ねる時間。それこそが、ホッピー通りの本当の魔力だ。 パートナーと話す内容も、いつもより柔らかい。ビジネスの話をしているはずなのに、まるで旧友と旅先で語り合っているような、そんな不思議な心地になる。酒と焼き鳥、そしてこの通りの空気が、仕事と日常の境界を曖昧にし、人と人の距離を一気に縮めていく。 ふと見上げると、青空の下で提灯が揺れていた。観光地としての浅草ではなく、「生きている街」としての浅草が、確かにここに息づいている。グラスの氷がカランと鳴る音に耳を傾けながら、もう一杯、ハイボールを頼んだ。昼間の一杯は、夜のそれとは違う。言葉にできない幸福感と、少しの背徳感が混じり合い、心に小さな火を灯す。 「浅草酒場 岡本」は、観光のついでにふらっと寄るだけではもったいない。むしろ、目的地としてこの店を選び、この通りで昼酒を楽しむことこそ、浅草の真髄を味わう方法だろう。焼き鳥とハイボール、そして通りの空気。それがあれば、午後の時間がどれだけ長くても、心は不思議と軽くなる。
2025/10訪問
1回
新宿西口の雑踏を抜けた路地裏、真夏の陽射しがビルの谷間を焼きつける午後。汗をぬぐいながら「七福神」の暖簾をくぐると、そこには外の時間とは別の、小さな安堵の世界がひろがっていた。 まずはキンと冷えたハイボール。グラスの側面には汗の粒が滲み、口に含んだ瞬間、氷の冷たさが喉元を駆け下りて、身体の奥にこもった熱を静かに鎮めてくれる。それだけで、今日ここに来た意味があると思わせてくれる一杯だ。 たこ焼きは、ふわりと柔らかく、とろけるような中身から熱が溢れる。外側の香ばしさとソースの甘辛い風味が舌の上で混ざり合い、思わずハイボールをもう一口煽ってしまう。そして焼き鳥。炭火で丁寧に焼かれた串は、噛みしめるたびに肉の旨味がじゅわりと滲み、焦げ目の香りが鼻へ抜けていく。 店内は飾らない賑わいがあって、どこか旅先の屋台のような気安さもある。ひとり客でも気負うことなく、ただ自分のペースで飲み、食べ、息をつくことができる。 外に出れば、また灼けつくような陽射し。しかし胸の奥には、氷のように冷えたハイボールと炭火の余韻が、しぶとく残っている。夏の新宿でひとり、暑さに挑むように訪れた「七福神」。あの一杯がある限り、私はまたこの路地裏へ、ふらりと戻ってきてしまう気がする。
2025/08訪問
1回
その日、仲間と向かったのは本八幡にある焼き鳥屋、「鳥心」だった。 駅から少し歩いた先、路地の一角にひっそりと佇むその店は、まるで時代に取り残されたように静かで、けれど確かに、何かを守り続けているような雰囲気をまとっていた。暖簾をくぐると、ふわりと炭の香りが鼻をかすめる。それは記憶の奥に眠る遠い昔の風景を呼び起こすような香りだった。父に連れられて行った、小さな居酒屋の記憶。頬を赤らめていた青年時代の夜。あるいは、もう戻らない誰かとの晩酌の風景。 「焼き鳥屋って、いいよな」 仲間のひとりがぽつりと漏らしたその言葉に、誰もが黙って頷いた。うまく言葉にならない何かが、そこにはあった。 カウンターの奥、黙々と串を焼く店主の背中に見入ってしまう。無駄のない動き。火と肉の呼吸を知っている職人の所作。それは静かな演奏のようだった。 まず運ばれてきたのは、ささみ。表面はうっすらと炙られているだけなのに、噛むとじゅわりと旨味が溢れ出す。塩だけで、こんなにも深い味わいになるのか。思わず箸を止めて、目を閉じた。 次に口にしたのはねぎま。炭の香ばしさ、噛み締めるごとに増す鶏の甘みと、ねぎのほろ苦さが、なんともいえないバランスで溶け合っている。話しながら食べているのに、言葉がふと途切れる。それは、口の中の小さな感動に、言葉を失っているからだった。 酒はビールから始まり、やがて日本酒へと流れていった。グラスの縁に残る酒の雫をなぞるようにしながら、取り留めのない話を交わす。昔のこと、仕事のこと、最近あった小さな出来事。気がつけば笑い声が何度も店内に弾けていた。 皮の串が運ばれてくる。パリッとした食感のあとに広がる濃厚な脂。それがしつこくないのは、きっと火加減が絶妙だからだ。店主の背中を見やりながら、そう思った。彼は何も語らないが、焼き台の向こうで人生を語っていた。 時間は静かに、けれど確実に過ぎていく。店の外では夏の終わりの風が通り過ぎていた。しんとした夜の街に、炭火の余韻を抱えて、僕らはゆっくりと歩き出す。 「また来ようか」 誰かが言ったその一言が、妙に胸に残った。そうだ、また来よう。あの背中を見に。あの香りを味わいに。そして、あの夜の続きを確かめに。 「鳥心」という名の、静かな灯火。その灯りに導かれて、僕たちは少しだけ、自分を取り戻した気がしていた。
2025/07訪問
1回
「ホルモン焼きのアジト」──その名を聞いたとき、私は半信半疑だった。 名前が洒落すぎてはいないか。アジトなどというのは、往々にして名ばかりであることが多い。 だがその扉を開けた瞬間、その懸念は熱と煙と音にかき消された。 鉄板が唸っていた。 壁際のテーブルでは、煙がゆらめき、ジョッキを握る男たちの顔がその熱気で赤らんでいる。 スタッフの動きは無駄がなく、厨房からは絶え間なく油の弾ける音と、「はい豚キムチいきます!」という声が飛び交っていた。 私たちはカウンター席に腰を下ろすと、まずはビールを頼んだ。 それが出てくるまでの数秒が、実に長く感じられた。のどの奥が、すでに泡を求めてざわついていた。 ようやく届いたジョッキ。 握ると、キンと冷えていた。 「おつかれ」 その一言のあと、ビールは一気に喉へと滑り込んでいった。 最初に頼んだのは豚キムチだった。 やや小ぶりの鉄皿に盛られたそれは、鮮やかな赤をしていた。 キムチの酸味と唐辛子の刺激に、豚バラの脂が見事に絡み合い、焦げ目が食欲を煽る。 一口運べば、肉の旨味とキムチの辛さが舌の上でせめぎ合い、その後に微かな甘みが追いかけてくる。 白飯があれば、確実に二膳はいけた。 だが今はビールがある。それで十分だった。 次に運ばれてきたのが「爆弾ニンニク」だった。 名前の通り、インパクトは強烈だった。 皮付きのニンニクが丸ごと鉄皿に盛られ、熱された油の中でじわじわと煮えている。 ニンニクがこんなにも主役になれるのか、と私は感心した。 熱を通したニンニクは驚くほど甘く、ホクホクとしていて、口に入れるとねっとりと広がる。 それをビールで流し込むと、体の芯から力が湧いてくるようだった。 まるで、今日という一日の疲労や曖昧な悩みが、一瞬でどこかへ吹き飛ぶような感覚だった。 隣では仲間が、箸で最後の一片のニンニクを拾い上げていた。 「これ、明日ヤバいな」 笑いながら言う。 だが、その笑いの中には、「でも構わない」という意志が込められていた。 匂いだとか、体裁だとか、そういうものを超えて、純粋に“美味い”と思える瞬間は、日常の中ではそう多くない。 店の壁には、無数の短冊メニューが貼られていた。 ホルモン、レバー、せんまい、チャンジャ、どれも魅力的だった。 しかし今日は、それ以上の注文はしなかった。 豚キムチと爆弾ニンニク──この二品が、この夜のすべてを象徴していたからだ。 会計を済ませて店を出ると、街の空気はまだほんのりと湿っていた。 だが、先ほどまでの重さは消えていた。 口の中にはニンニクの余韻が、心の中には満たされた静かな満足が残っていた。 ホルモン焼きのアジト── その名は伊達ではなかった。 そこには、男たちの夜を黙って受け止める、確かな“隠れ家”のような風情があった。
2025/07訪問
1回
その暖簾をくぐった瞬間、僕たち仲間内のテンションはすでに最高潮だった。 駅前の雑踏から一歩足を踏み入れただけで、まるで昭和のまま時が止まったかのような店内の雰囲気。壁に貼られた色あせた短冊メニュー、焼き台から立ちのぼる煙、そしてそれに混じるタレの焦げた香り。 この香りだけで、もう一杯飲めそうだ。 席につくと、店員さんの気さくな掛け声がすぐに飛んでくる。 「お疲れ様です!今日も元気にいきましょう!」 その声に背中を押されるように、僕たちはまずは生ビールを注文。グラスが届くと、乾杯の合図もそこそこに、すでに焼き鳥の注文ラッシュが始まる。 「とりあえず、レバー、ハツ、シロ、カシラ、ねぎま、それと…つくねも!」 まるで定番の呪文のように、次々と名前が飛び出していく。 焼き台の向こうでは、店主らしき男性が黙々と串をひっくり返している。その手際の良さに、しばらく会話も止まり、僕たちはただただその様子を眺めてしまった。 煙が店内にうっすらとたちこめてくる頃、目の前にまず届いたのはレバー。 一口食べた瞬間、口の中に濃厚な旨味と甘さが広がる。 「これ…レバーって、こんなに柔らかかったっけ?」 そんな声があちこちから上がる。 しっとりと火が入っていて、臭みはまったくない。これだけで酒が進む。 次に届いたのはカシラ。 脂の乗りが絶妙で、噛めば噛むほど旨味が滲み出る。思わず「うまい…」と声に出してしまう。 こういう時、周りも自然とうなずいてるのがまた嬉しい。 そして、つくね。これがまた絶品だった。 表面は香ばしく焼かれていて、中はふっくらジューシー。タレの甘さと肉の旨さが絶妙に絡み合っていて、これまたビールが止まらない。 ふと見渡せば、他のお客さんもみんな楽しそうだ。 一人で静かに飲んでいる人もいれば、僕たちみたいにワイワイやっているグループもいる。 それでもどこか、この店には一体感がある。不思議と居心地がいい。 途中、誰かが「ホッピー行っとく?」と言い出し、そこからはホッピータイムに突入。 中身(焼酎)がどんどん濃くなるのも、植むらではお約束。 グラスの底に沈んだ焼酎を見て、みんなで笑いながらチビチビやるのが、これまた楽しい。 焼き鳥の合間にはキャベツと味噌で口直し。これがまた、シンプルだけどやたら美味い。 あとはお新香やポテサラ、ちょっとした小鉢をつまみながら、酒はどんどん進む。 「今日はもう、終電気にしないで行こうぜ」 そんな声も聞こえはじめる頃には、テーブルの上は空いたグラスと串の山。 気がつけばもう数時間が過ぎていた。 それでも誰も帰ろうとしない。 この店の「ゆるさ」と「うまさ」と「温かさ」が、僕たちを引き止めている。 〆には名物の煮込みを頼む。これがまた、トロトロで優しい味わい。 胃袋も心も満たされて、ようやく重い腰を上げることに。 店を出ると、夜風がちょっと涼しく感じた。 「また来ような」 そんな言葉を残して、それぞれ帰路についた。 もつ焼植むら。 ただの飲み屋じゃない。 あそこには、僕たちの“また来たくなる理由”が、しっかりと煙の中に、焼き台の向こうに、そしてあの串の1本1本に、ちゃんと詰まっていた。
2025/07訪問
1回
夜の街に灯がともり始めるころ、新宿三丁目の雑踏を抜け、僕はいつもの「鳥貴族」の扉を開けた。 煌々としたネオンの外とは対照的に、店内は温かく、油とタレの香りが心地よく鼻をくすぐる。カウンターに腰を下ろすと、鉄板の上から立ち上る煙が夜の始まりを告げていた。 今日は一人だ。 仲間と語らう夜も悪くないが、ひとりで焼き鳥を食べる夜には、また別の贅沢がある。 仕事を終え、少し疲れた体を椅子に預ける。 まずはハイボールを頼む。炭酸の音がグラスの中で軽やかに弾け、喉を通る瞬間、身体の中に残っていた一日の緊張がすっと抜けていく。 「お疲れ様でした」と、誰にでもなく呟く。 それでいい。今日の酒は、自分のためのものだ。 最初に出てきたのはもも貴族焼。 鳥貴族に来るたび、いつも最初に頼む定番だ。 串から滴る脂が炭の香りと混ざり合い、口の中に広がる。 噛むたびに、肉の繊維がほどけていくような感覚。 塩味のあとにほんのりと甘みが追いかけてくる。 それが、たまらなくいい。 この一口で、ああ今日も一日ちゃんと生きたんだと実感できる。 二杯目はビールに切り替える。 ジョッキを握ったときの冷たさが心地よく、泡の苦味がハイボールとは違う深さをもって舌に残る。 店内のあちこちから笑い声が聞こえる。 隣の席では若い会社員が仕事の愚痴をこぼし、奥のテーブルではカップルが軽くぶつかり合うように笑っている。 そんな光景を眺めながら、僕はポテチをつまむ。 居酒屋のポテトチップス――なんてことのない一品なのに、妙に沁みる夜がある。 塩っ気が、心の奥の寂しさに少しだけ寄り添ってくれるのだ。 焼き鳥をもう一本、つくねを追加する。 タレが照り、炭火の香ばしさが鼻先をくすぐる。 食べながら、ふと考える。 人生はこの焼き鳥みたいなものかもしれない。 焦げすぎてもいけないし、生すぎてもいけない。 ほどよい火加減が、人との距離にも、仕事にも大切なんだと。 焼き鳥を頬張りながら、そんな当たり前のことを思い出す夜がある。 時計を見ると、もう22時を回っていた。 新宿の街はまだ眠らない。 だが、僕の夜はそろそろ終わりに近づいている。 グラスの底に残ったハイボールを飲み干し、ふうと息を吐いた。 今日もまた、いくつもの会話や思考を経てここまでたどり着いた。 何も成し遂げていなくても、こうして一人で座り、焼き鳥を食べ、酒を飲む。 それだけで、十分に生きていると思える夜がある。 勘定を済ませて外に出ると、街の風が少し冷たかった。 酔いが回った頬に、夜風が気持ちよくあたる。 見上げれば、高層ビルの隙間から星が一つだけ顔を出していた。 「また来よう」 そう呟きながら、僕は三丁目の雑踏の中へと歩き出した。 この街のどこかで、また焼き鳥の煙が上がっている。 そして明日もきっと、誰かがこの店で一人の夜を過ごしているだろう。 人生とは、そういう無数の夜の積み重ねなのかもしれない。
2025/10訪問
1回
西新宿の雑踏を抜けると、ふと鼻をくすぐる香ばしい煙が漂ってきた。繁華街の灯りの中にひっそりと佇む「博多とりかわ 長政」。この夜、仕事のパートナーと打ち合わせを兼ねて足を運んだ。 店の扉を押し開けると、焼き台の前で炭が赤々と燃え、油をまとった鶏皮が「パチッ」と小気味よい音を立てている。視線の先には、細く巻かれた串が整然と並び、炭火にあぶられて黄金色に輝いていた。あの光景を見ただけで、胃袋がすでに歓喜しているのを感じる。 席に腰を落ち着けるや否や、まずは生ビールで乾杯した。打ち合わせとはいえ、相手の表情は少しほころんでいる。グラスを傾け、のどを通り抜ける冷たい液体が一日の疲れを一気に洗い流していった。続けざまに頼んだハイボールの炭酸は、まるで街の喧騒を弾き飛ばすかのように強烈に弾けた。 そして目の前に運ばれてきたのが、この店の名物「とりかわ」だ。博多式に幾重にも巻かれた鶏皮は、外はカリリと音を立て、中は驚くほどジューシー。ひと口頬張れば、脂の旨みが舌にまとわりつき、炭の香りが鼻腔を抜ける。しっかりと下処理されたその一本には、油っぽさの嫌味が微塵もなく、ただひたすらに旨さだけが残る。なるほど、これを目当てに足を運ぶ客が絶えないのも頷ける。 二本、三本と串を重ねるごとに、不思議と胃が軽やかになる。ビールの苦味、ハイボールの切れ味、そのすべてが鶏皮の濃厚な旨みを引き立てる。酒と肴が互いを補い合い、気づけば会話は自然と熱を帯びていく。仕事の話も、未来の展望も、この鶏皮の串を挟めば妙に前向きに聞こえてくるのだから不思議だ。 周囲を見渡せば、ひとり黙々と串を頬張る男もいれば、仲間と肩を寄せ合い笑うグループもいる。誰もが一様に手を伸ばすのは、とりかわの串。その姿を眺めていると、この小さな串が街の人々の心をつなぎ止めているように思えてくる。 やがて時間も忘れるほど語らい、気づけば卓上には空いたグラスと串の残骸が山のように積まれていた。腹も心も満たされた充足感。西新宿という無機質な街にあって、この店は人の温もりと炭火のぬくもりを同時に与えてくれる場所だった。 店を出ると、夜風が酔いを少し冷ましてくれた。だが口の中にはまだ、香ばしい鶏皮の余韻が残っている。あの味は単なる食事ではなく、共に語らい、未来を描いた時間そのものだったのだろう。 「博多とりかわ 長政 西新宿店」。仕事の打ち合わせにして、人生の束の間の祝祭でもあった夜を、忘れ難い一本の串が鮮やかに刻んでくれた。
2025/09訪問
1回
今日はまだ夕方も早い時間帯だけど、ふと思い立って錦糸町南口の「新時代」に一人でやってきた。まだ外は明るくて、駅前の人通りもそこまで多くない。だけどこの店の暖簾をくぐると、時間の流れが急に夜モードに切り替わったような、そんな感覚になる。 入店すると、店内にはすでに何組かの先客が。早飲み仲間だろうか、隣のテーブルからは軽快な笑い声が聞こえてくる。店員さんも元気で、席につくとすぐに「お飲み物どうされますか?」と声をかけてくれる。こういう明るい接客って、やっぱり気持ちがいい。 迷わずハイボールを注文。なにせここは一杯150円という破格の安さ。お酒好きの自分にとって、これほど財布に優しい店はない。しかも、安いだけじゃなくて、グラスもきちんと冷えてて、炭酸もしっかり効いてる。この一杯目の爽快感はたまらない。 そして、やっぱり頼むのは「伝串」。この店に来たら、これを食べなきゃ始まらない。カリッと揚がった鶏皮が、ひとくち噛んだ瞬間にじゅわっと旨味を放つ。外はサクサク、中はモチモチ。あの特製スパイスの香りが鼻に抜けて、口の中でお酒を欲するスイッチが完全に入る。 この「伝串」、ただの鶏皮串だと思ったら大間違い。絶妙な揚げ加減と、タレとスパイスのバランスが秀逸で、何本食べても飽きがこない。しかも1本55円という罪深い価格設定。気づけば無意識に「追加で5本!」と注文してしまう。ひとり飲みでも、この気軽さが嬉しい。 店内は昭和レトロ風の内装で、壁にはポスターや手書きメニューがぎっしり貼られている。このゴチャっとした感じが逆に落ち着く。テーブル席もカウンターもあるから、一人でも居心地がいい。周りを気にせず、好きなタイミングで好きなものを頼めるのがひとり飲みの醍醐味。 ふと厨房を見ると、若いスタッフたちが楽しそうに動き回っている。忙しそうなのに、誰かが「すみませーん!」と呼べばすぐに笑顔で対応してくれる。この雰囲気もまた、居心地の良さに繋がっているんだろう。 今日は軽めにしようと思ってたけど、ついつい他のメニューにも手を出してしまった。唐揚げ、鉄板焼き、おでん…どれもお酒が進む味付けで、さすがコスパ居酒屋の代表格。特に唐揚げはジューシーで食べごたえがあって、ハイボールがまた進む進む。 気づけばグラスは3杯目。さっきまで仕事の疲れが抜けなかったのに、今はすっかりリラックスモード。スマホを見ながら、次に何を頼もうか考えるこの時間がまた楽しい。 周りを見渡すと、学生っぽいグループもいれば、一人で黙々と飲んでいるサラリーマンもいる。誰もがそれぞれのペースで楽しんでいて、この空気感が好きだなと思う。 新時代は、ただ安く飲めるだけじゃない。ちゃんと「また来たい」と思わせてくれる空間。今日は早い時間から来て正解だった。次は誰かを誘ってもいいし、また一人でフラッと来るのもアリ。 そんなことを思いながら、最後の伝串にかぶりつく。またこの味を求めて、きっとすぐ来てしまう気がする。
2025/06訪問
1回
柴又をぶらぶらと散策していた午後、陽射しがジリジリと肌に刺さるような真夏日。そんな中、偶然見つけた「おじぎ茶屋」は、まるでオアシスのような存在でした。昔ながらの情緒あふれる店構えにひかれてふらっと立ち寄ってみたのですが、これが大正解。 まず、店先に飾られたのれんと風鈴の音に癒されます。昭和レトロな雰囲気の中、冷えたビールが本当に沁みました。一口飲んだ瞬間、「生き返る〜!」と心の中で思わず叫んでしまったくらい(笑)。喉ごしが最高で、身体中にスーッと涼しさが広がる感じ。暑さでボーッとしていた頭も一気にクリアになるような、そんな感覚でした。 店内も落ち着いた雰囲気で、外の喧騒とは対照的に静かでゆったりとした時間が流れています。木の温もりを感じるテーブルや椅子、飾られた小物たちがとても可愛らしくて、居心地のよさも抜群。柴又の街並みにぴったりの雰囲気で、観光の途中にちょっと休むのにちょうどいい場所です。 店員さんも気さくで、こちらの疲れた様子に気づいて「暑いですね〜、ゆっくりしてってくださいね」と声をかけてくれたのも嬉しかったポイント。そういう一言って、旅先では特に心に残るものです。 「寅さん」ゆかりの地・柴又ということで、下町らしい人情やあたたかみを感じられるのも、このおじぎ茶屋の魅力のひとつかもしれません。 真夏の暑さの中で見つけた、最高のビール休憩スポット。また柴又に来たら、ぜひ立ち寄りたいお店です。次は、冷たい甘味も試してみたいなと思います!
2025/06訪問
1回
神田駅の東口を出ると、夕暮れの風が頬をかすめた。 少し肌寒い。コートの襟を立てるほどでもないが、歩く人々の肩には確実に秋の気配が降りている。そんな街角の明かりの中に、ふっと「テング酒場 神田東口店」の赤提灯が灯っていた。 ドアを開けると、カウンターの奥で焼き台の煙が立ちのぼり、タレの香ばしい匂いが鼻をくすぐる。 「おつかれさまです!」 威勢のいい声が響く。その瞬間、仕事の疲れがすっと溶けていくようだった。仲間がすでにテーブルでグラスを掲げている。席に着くと同時に、冷えたハイボールが目の前に置かれた。 一口。 喉を通る炭酸の刺激が、まるで冬の入口を告げるように胃の底まで沁みていく。 ――ああ、この一杯のために今日を働いたんだ。 そんな実感が胸の奥で小さく鳴った。 枝豆をつまむ。塩気がほどよく、豆の甘みが広がる。 「やっぱ最初はこれだよな」と誰かが言う。 それに頷きながら、もう一杯を頼んでいた。ハイボールの氷がカランと鳴る音が、神田の夜を少しだけ軽やかにする。 次に頼んだのは生ハム。 皿の上で薄く透けるように盛られたピンク色の肉片に、レモンを少し絞る。 口に運ぶと、しっとりと舌に絡む塩気と脂の甘さ。そこへまたハイボールを流し込むと、世界が一瞬静止したように思えた。 この店の生ハムは決して高級ではない。だが、妙に誠実だ。 冷えたグラスの向こうで笑い合う仲間の顔と同じように、飾らず、まっすぐな旨さがあった。 隣のテーブルからは焼き鳥の香ばしい煙が漂ってくる。 ガヤガヤとした店内。 壁のメニューに書かれた「もも串」「つくね」「レバー」。 そんな文字が、酒の勢いにあわせて柔らかく滲む。 気づけば会話は、仕事の話から昔の恋の話へ、そしていつのまにか「次はどこで飲む?」という結論へと流れていく。 この店では、時間さえも酒の肴になる。 ふとグラスの底を見つめる。 氷が半分に溶けかけ、そこに街のネオンが映り込んでいる。 この瞬間だけでいい――そう思える夜が、人生には確かにある。 テング酒場のハイボールは、そんな夜を静かに支えてくれる。 外に出ると、神田の風が少し冷たく感じた。 だが、胃の底にはまだ温もりが残っている。 それは酒のせいか、それとも仲間と交わした笑いの余韻か。 どちらにせよ、今夜の神田は悪くない。 明日もまた、この一杯を思い出して頑張れる気がする。
2025/10訪問
1回
築地市場 298 東新宿店。 夜のざわめきを帯びた新宿の裏路地を抜けると、ひときわ明るい灯りがぼんやりと人を吸い寄せている。暖簾をくぐると、魚の匂いが立ちのぼり、どこか港町の食堂に迷い込んだような錯覚を覚える。 三人で席についた。今夜は食事でありながら、同時に打ち合わせという名目を持つ。酒を注ぎ合う前の沈黙が、どこか緊張を孕んでいたが、最初の皿が並んだ瞬間、その空気はゆるやかに溶け出していく。 刺身は艶やかに輝き、白身は舌にしなやかに絡みつき、赤身は噛むほどに旨味を滲ませる。焼き物の香ばしい匂いが漂いはじめると、自然に会話が弾んだ。店の喧騒と混ざり合い、こちらの声も少し大きくなる。打ち合わせのはずが、酒の勢いに引き寄せられて、話題はいつのまにか未来の夢や、くだらない昔話へとすり替わっていく。 テーブルの上に並ぶ皿はどれも潔く、余計な飾りを排した分、魚本来の力強さが剥き出しになっていた。熱燗を口に含むと、胃の奥でじんわりと広がり、外の夜風の冷たさを忘れさせる。 気づけば時計の針は進み、打ち合わせは結論を見ないまま宙ぶらりんに終わっていた。それでも不思議と心は軽く、三人の間には言葉にならない結束のようなものが残った。 「築地市場 298 東新宿店」。魚を肴に、仕事と遊びの境目を曖昧にしてしまう、不思議な魔力を持つ場所だ。 ――仕事か食事か。その境界線を曖昧にしながら、僕らは夜を過ごした。
2025/08訪問
1回
JR両国駅の改札を抜け、夜の湿り気を帯びた風に押されるようにして店へ向かった。三代目 鳥メロの暖簾は、まるで古い友人のように迎え入れてくれる。店内は赤提灯の灯りが揺れ、炭の香りが鼻先をくすぐった。 カウンターの向こうで、職人の手が串を返すたび、脂が爆ぜる音が弾ける。仲間たちはすでにジョッキを掲げ、ビールの泡を唇にまとわせている。黄金色の液体が喉を滑り落ちていく瞬間、外の喧騒も、日々の雑務も、一瞬だけ遠のいた。 焼き鳥の香りは、誰もが持つ郷愁を呼び覚ます。塩は潔く、タレは甘く深く、それぞれが舌の上で記憶を刻む。串を手に、語り、笑い、時に黙る。その沈黙さえ、ここでは心地よい。 気がつけば、ビールのジョッキは何度も空になり、炭火の向こうでは最後の一本が焼き上がろうとしていた。外に出れば、両国の夜風がひやりと頬を撫でる。だが、その温もりは、まだ胸の奥で静かに燃えていた。
2025/08訪問
1回
土曜日の昼、両国駅西口を出ると、真夏の陽射しが歩道を白く照らしていた。平日の慌ただしさが嘘のように、街にはゆったりとした空気が流れている。観光客が国技館へ向かい、家族連れがカフェや飲食店に吸い込まれていく。そんな中、「とり家ゑび寿 両国店」の暖簾をくぐった。外の熱気から解放されると、涼しい空調と、揚げ油の香ばしい匂いに包まれる。奥では唐揚げが揚がる音が軽やかに響き、焼き鳥の串を返す小さな金属音が心地よいリズムを刻んでいた。 カウンター席に腰を下ろし、迷わず「唐揚げ定食」と「ハイボール」を注文する。休日の昼から飲むハイボールは、背徳感というより、堂々とした開放感に満ちている。周囲の席では観光途中の夫婦や、ゆったりと昼飲みを楽しむ常連らしき男性が、笑顔でグラスを傾けていた。 やがて運ばれてきた唐揚げは、黄金色の衣をまとい、皿の上で湯気を立ち上らせている。箸でひとつ割れば、衣の内側から熱い肉汁があふれ、生姜とニンニクをきかせた香りがふわりと漂う。一口頬張れば、外はカリッと、内は驚くほどジューシー。油切れがよく、重さを感じさせないため、休日の昼でもするりと食べ進められる。 添えられたレモンを絞れば、香ばしさの奥に爽やかな酸味が広がり、味わいにもうひとつの層が加わる。ここでハイボールをひと口。氷の音と炭酸の刺激が、唐揚げの余韻を洗い流し、再び箸を唐揚げへと向かわせる。休日だからこそ、このループを心ゆくまで楽しめる。 定食のごはんはやや固めで、唐揚げの旨味をしっかり受け止める。味噌汁は控えめな赤味噌仕立てで、揚げ物の合間に飲むとほっと一息つける。付け合わせの漬物がまた絶妙で、油と塩気の間に小さなリセットを与えてくれる。唐揚げ→ごはん→漬物→ハイボールという、休日ならではの贅沢な流れが自然と生まれる。 店内はコンパクトだが、カウンター席とテーブル席が効率よく配置され、ひとり客でもゆったり過ごせる。スタッフは明るくきびきびしていて、休日の昼の混雑時でも提供が早い。油の香りと炭火の煙が混じった空気は、休日気分をさらに高めてくれる。 食事を終え、残りのハイボールをゆっくりと口に運びながら、窓の外を眺める。国技館を背景に、カメラを構える観光客や、浴衣姿の若者たちが行き交う。昼下がりの光が建物の壁をやわらかく照らし、休日の町に穏やかな陰影を落としている。 「唐揚げ定食とハイボール」。そのシンプルな組み合わせが、土曜日の昼をこんなにも豊かにしてくれるとは思わなかった。揚げたての香り、溢れる肉汁、そして昼間の光と炭酸の心地よさ――そのすべてが、休日という時間を静かに、しかし確実に満たしてくれた。
2025/08訪問
1回
先日、仕事帰りにふらりと立ち寄ったのが「鳥貴族 浅草橋店」。全国チェーンながら、店ごとに微妙に雰囲気が違うのが鳥貴族の面白いところ。この浅草橋店は、駅から歩いてすぐという立地も良く、外から見ると木目調の看板と暖かみのある照明が、どこか落ち着いた雰囲気を醸していた。 平日の夕方にもかかわらず、店内はなかなかの賑わい。若者のグループから仕事帰りのサラリーマン、女性同士のグループまで、客層は幅広く、それだけでこの店の居心地の良さが伝わってくる。 メニューはもちろん全品均一価格。安定のコスパに安心感を覚えつつも、今日はちょっと変化球を楽しみたい気分。焼鳥はもちろん注文したが、目に留まったのは「釜飯」。鳥貴族で釜飯を頼むのは初めてだったが、なんとなく「今日の主役はこれだ」と直感で思った。 程なくして運ばれてきた釜飯は、想像以上の存在感。炊き立ての湯気が立ち上り、蓋を開けた瞬間、ふわっと広がる鶏出汁の香り。目でも香りでも楽しませてくれるこの一品に、思わず「おお…」と声が漏れる。 一口目で完全にやられた。ご飯一粒一粒に鶏の旨みがしみ込んでいて、しかも優しい。具材はシンプルながら、鶏肉の柔らかさと、わずかに残る香ばしさが絶妙なバランス。口に運ぶたび、なんだかほっとするような安心感がある。それでいて、全く飽きない。食べ進めるたびに「これは本当に鳥貴族か?」と思ってしまうほど、完成度が高い。 鳥貴族と言えば焼鳥。もちろんそちらも美味しくて、特に「もも貴族焼(たれ)」はジューシーさが抜群。ただ、今回は完全に釜飯が主役をさらっていた。〆というより、むしろメインとして十分に成立する料理だと感じた。 ドリンクも定番のハイボールを頼んだが、釜飯の優しい味に合わせて、今日はレモンサワーのほうが合ったかもしれない。それくらい、釜飯の持つ世界観がしっかりしていた。 接客も丁寧で、注文から提供までのスピード感もちょうどよい。店員さんの元気な声と笑顔にも癒やされる。居酒屋らしい賑やかさと、どこか気配りの効いた空間が同居していて、浅草橋という場所柄、ちょっと一杯にも、しっかり食事にも使える万能な店だと改めて感じた。 会計を済ませて店を出る頃には、心もお腹も大満足。あの釜飯の味が忘れられず、またすぐにでも行きたくなる。安くて美味いだけではない、心に残る一品を出す鳥貴族浅草橋店に、素直に感動した夜だった。
2025/06訪問
1回
錦糸町の夜は、日が暮れてからが本番だ。 南口の雑踏を抜けた先に、黄色い提灯が柔らかく灯る。 「てけてけ 錦糸町南口店」。 店名の響きは軽やかだが、中に足を踏み入れると、そこには夜更けまで人を引き留める濃密な空気があった。 引き戸を開けた瞬間、炭火の香りが胸の奥まで入り込み、胃袋を静かに叩く。 カウンター奥では、網の上で鶏肉がじっくりと焼かれ、脂が弾ける音が絶え間なく続いている。 その音と香りに誘われるように、私はテーブルに腰を下ろし、まずはハイボールを注文した。 氷がカランと鳴るグラスは、喉を一気に潤し、肺の奥まで冷たさを届ける。 最初の一口で、仕事帰りの疲れがすっと抜けていく。 続けざまに頼んだのは、てけてけ名物の焼き鳥盛り合わせ。 皮はパリリと焼き上がり、噛めば脂の旨味がじゅわりと溢れ、もも肉は驚くほど柔らかく、肉汁の甘さが口いっぱいに広がる。 テーブルの上は、いつしか小皿で埋まり始める。 鶏の唐揚げは外側が香ばしく、中はふっくらジューシー。 揚げたての湯気が鼻をくすぐり、ビールをもう一杯頼まずにはいられない。 箸を伸ばせば、ポテトサラダの滑らかな舌触りと、炭火焼の香ばしさが交互にやってくる。 店内は賑やかだが、騒がしすぎない。 会社帰りのサラリーマン、友人同士、カップル、それぞれが思い思いの時間を過ごしている。 スタッフは忙しそうに動き回りながらも、ドリンクの追加や皿の片付けを絶妙なタイミングでこなす。 その気配りが、長居しても心地よさを保ってくれる。 気づけば時計は終電間際。 最後の一杯、レモンサワーを飲み干し、串の最後の一片を口に放り込む。 外に出ると、南口の夜風が酔いをほんの少し冷ましてくれる。 遠くで聞こえる電車の音に、名残惜しさを背中に背負いながら、私は駅へ向かった。 この店は、炭火で焼く鶏料理の確かな旨さと、気取らない雰囲気、そして「もう一杯」を誘う接客で、気づけば最終電車まで引き止められてしまう場所だ。 錦糸町で時間を忘れて飲むなら、迷わずここを選びたい。
1回
大衆酒場の湯気と、友情の体温が入り混じる夜— 錦糸町という街には、妙な湿度がある。 人と酒と欲望が混ざったような、都会の影の温もりだ。その中心に佇む「養老乃瀧」の白い暖簾は、昔から旅の途中の僕のような人間を、ふっと吸い寄せる力を持っている。 その夜、僕は仲間三人とこの店に腰を落ち着けた。 入口から奥へと伸びる細い通路には、揚げ物の油と焼き鳥の香りが薄い霧のように漂っていた。 席に着くなり、誰かが「メガハイいっとく?」と声を上げた。 目の前に置かれたジョッキは、普通の倍はある。 氷がごろんと音を立て、レモンが黄色い閃光のように沈んでいる。 その一口目は、まるで喉の奥を鋭利な刃物で切り裂かれたような刺激だが、それこそがこの街で働く男たちの“再起動スイッチ”なのだ。 ジョッキを置くと、テーブルにはすでに皿がいくつか並んでいた。 黒く焦げた衣をまとったハムカツ。 粗く刻まれたキャベツのうえに堂々と鎮座し、マスタードの黄色が挑発するように輝いている。 一口かじれば、衣がざくりと崩れ、懐かしい脂と塩気がにじみ出る。 こういう料理は、上手い下手の評価を超えた場所にある。 まるで古い友人に久しぶりに会ったときのような、妙に安心する味だ。 店員が次に持ってきたのは、茶色い紙袋に入ったポテトフライ。 チーズと青のり、ケチャップが雑然と混ざり合い、袋の底には少しだけ油が溜まっている。 それをつまんで口に運び、ハイボールで流し込むと、まるでそれがこの街の正しい“手順書”であるかのような気がしてくる。 そして、ぐつぐつと煮えたぎる鍋。 海藻の青が浮き、豆腐が静かに揺れている。 湯気の向こうに仲間の笑顔がぼんやり浮かんだ。 「なんか、こういうのがいいんだよな」 誰かが呟いた。 その言葉に、僕は深く頷いた。 大衆酒場とは、特別でも上品でもない。 だが、ここには仕事で擦り減った身体を補修する力がある。 雑多だからこそ、心がほどけるのだ。 串焼きの皿も運ばれてきた。 ねぎ間は香ばしく、噛めば肉の旨味と焦げの苦味が絶妙に混ざり合う。 衣をまとったホルモン串は弾力があり、酒の勢いをさらに加速させる。 4人の会話は、仕事、家族、金、そして少しだけ夢の話へ。 時おり、誰かの笑い声が店の奥まで突き抜けていく。 隣の席のサラリーマンたちも、僕らと同じように明日への小さな弾みをつけに来ているのだろう。 酔いがまわり始めると、店のざわめきがどこか心地よくなる。 ジョッキは汗をかき、テーブルには食べかけの皿が散乱している。 だが、その乱雑さこそが、今日の夜が“本物”である証拠でもある。 気づけば、鍋の湯気が少し弱まり、店の時計は終電の存在を知らせようとしていた。 街の喧騒が外から漏れ、もう少しだけこの夜に浸っていたいという気持ちが胸に残る。 養老乃瀧 錦糸町店。 ここは、人に戻る場所だ。 格好つけなくていい。 強がらなくていい。 ただ、仲間と酒を酌み交わし、くだらない話で笑い合う—— そのためだけに存在している店だ。 そして、人は案外、そういう時間に救われているのだと、ふと気づかされる。 ハイボールの氷が溶けて、最後の一口が少し薄くなる頃、僕はそんなことを思っていた。
2025/11訪問
1回
東中野の駅を降りると、夜の空気にほんのりと炭火の香りが混じっていた。住宅街と商店が入り混じるこの街の空気には、どこか人懐っこさが漂っている。角を曲がった先に、木の温もりが滲み出るような小さな看板が灯っていた——「千串屋」。その名の通り、串焼きが主役の店である。 暖簾をくぐると、カウンター越しに立ち上る煙が目に飛び込んでくる。炭の上でじゅうじゅうと音を立てる焼き鳥。焼き手の大将は、手首の返し一つで串をくるりと回し、火加減を絶妙に操っている。その姿に一瞬、時間が止まったような感覚を覚える。串を焼く音、炭がはぜる音、そして奥のテーブルから聞こえる笑い声が、心地よいリズムを刻んでいた。 この日は気の置けない仲間たちと、仕事終わりの小さな宴を開いた。まずは生ビールで乾杯。グラスを合わせる音が軽やかに響き、喉を通る冷たいビールが一日の疲れを洗い流していく。口の中に残る麦の香りと炭の煙が混ざり合い、まるでこの店全体がひとつの料理になっているようだった。 最初に頼んだのは、定番の「ねぎま」。皮はこんがりと香ばしく、中は驚くほどジューシー。塩の加減が絶妙で、鶏の旨味が舌の上にじわりと広がる。続いて「つくね」。ふっくらと焼き上げられたそれは、ひと噛みで肉汁が溢れ、甘辛いタレと黄身のコクが絡み合って至福のひとときを演出する。仲間の一人が「これは日本酒にも合いそうだな」と呟いたが、僕はあえてハイボールを選んだ。炭酸の泡が舌の上ではじけ、脂の余韻を心地よくリセットしてくれる。 次々と運ばれてくる串は、どれも一串ごとに表情が違う。「せせり」のしなやかな弾力、「ぼんじり」の濃厚な脂、「レバー」のとろけるような舌触り——それぞれの部位に、大将の経験と勘が刻まれている。焼き過ぎず、だが芯まで熱が通った絶妙な火入れは、もはや職人芸としか言いようがない。 テーブルの上は、次第に串の山とグラスの数で賑やかになっていった。会話は自然と弾み、くだらない冗談から真面目な将来の話まで、話題は尽きない。炭火の熱気と仲間の笑顔に包まれていると、時間の感覚がゆっくりと溶けていく。店内はそれほど広くないが、むしろその距離感が人と人との心の壁を取り払ってくれるようだった。 気がつけば、店の外には夜風がひんやりと流れていた。通りに出ると、炭火の香りがまだ体に染みついているのが分かる。胸の奥に残るのは、満腹感だけではない。仲間と過ごした、飾らない時間の余韻だ。 千串屋 東中野店——派手さはない。しかし、ここには確かな“旨さ”と“時間”がある。炭火の前に立つ職人と、それを囲む人々の笑顔。そのすべてが、この夜を特別なものにしてくれた。次は一人で、カウンターに腰を下ろしてじっくり味わうのも悪くない。そんな余韻を残して、駅へと続く夜道を歩いた。