69回
2024/10 訪問
幻の一品と、逸品の行方
私は、どうしても季節限定や個数限定のメニューに心惹かれてしまう。特に「幻のメニュー」という言葉には、強く抗えない。例えば「鯛のかぶと煮」。一日一個限定ではあるが、早めに店に足を運べば、ほぼ確実にその味を堪能できる。しかも、時には鯛が手に入らない時には縞鰺に替わることもある。その特別な一品を目当てに、私は何度もそのメニューを選んでしまうのだ。
だが、真の意味での「幻のメニュー」といえば、やはりイベリコ豚のステーキが相応しい。この一品は仕入れの状況次第で、メニューに並ぶかどうかが決まるため、運が悪ければ出会うことすらできない。だからこそ、もしこのイベリコ豚がメニューに登場していたなら、その瞬間、鯛や縞鰺の存在を忘れてしまうほどだ。「幻」のステーキを味わえるかどうか、この一瞬のスリルに、私はすっかり魅了されている。数量限定や仕入れ限定、それぞれがもたらす一時の贅沢を楽しむために、私はまたその店の扉をくぐってしまうのである。
2024/10/22 更新
2024/10 訪問
断ち切られた継承と紡がれる時間
昔から、飲食店というものは、ただ食を満たす場ではなかった。人と人との絆がそこで紡がれ、目に見えぬ教えが食事と共に伝えられてきたのだ。年長者が後輩を連れ、料理を通して支払いの仕方や礼儀を、無言のうちに教える――まさに、それが「伝統」というものであった。しかし、時代は移ろいゆく。「飲みに行こう」などという誘いですら、今ではパワハラとされかねない。この空気の中、先輩から後輩へと自然に伝えられるべきものが、今や失われつつあるのだ。
あの日、馴染みの店で偶然後輩に出くわした時、私は気づいた。かつて教えるべきだったことを、何一つ伝えずにきた自分の過ちに。そして、その胸に深い後悔が刺さった。今さら後悔しても、時は巻き戻せない。だが、その重みは増すばかりだ。
目の前に運ばれてきた焼き魚を見ながら、ふと思った。魚が焼かれるという一見簡単な行為の中にも、職人の技が込められている。焼き加減、塩の振り方、すべてが一朝一夕で得られるものではない。そしてそれは、受け継がれた知恵の結晶でもある。
箸を進めながら、私は静かに後輩に言った。「今度、一緒に食事でもどうだ?」驚いた後輩の顔を見て、かすかな緊張を感じたが、その後の彼の笑顔と頷きがそれを消し去った。その瞬間、私は感じた。かつての伝統が、こうして新たな形でまた一つ繋がったのだと。
2024/10/16 更新
2024/10 訪問
止まった時を刻む時計 〜永遠のひとときを求めて〜
その店には、まるで時間を拒むかのように、針を止めたままの古びた柱時計が飾られていた。時計の針は動かず、静止したその姿は、店内に独特の趣と哀愁をもたらしていた。店主は、「壊れて動かないのですが、わざわざ残しているんです。お客様には、時を忘れて料理を楽しんでもらいたいという願いを込めて」と語り、その理由を教えてくれた。その言葉どおり、店内には、流れる時間がどこか緩やかになったかのような、不思議な空気が漂っていた。
彼女の誕生日にその店を予約した際、私はひそかに店主に頼み込んだ。「この時計を、今夜だけ彼女の誕生日の時間に合わせてもらえませんか?」と。派手な演出や大掛かりなサプライズは用意しなかったが、その時計がただ一夜限り、彼女のために特別な時を刻んでくれることを願ったのだ。店内の静寂の中、その時計は誕生日の時間を示し、まるで二人だけのためにその瞬間が用意されているかのような錯覚をもたらした。
しかし、時の流れには逆らえず、やがてその店も閉店し、柱時計は我が家へと迎え入れられることとなった。かつての店の面影は、本店にその名残を留めている。今年もまた彼女の誕生日が巡ってきたが、特別な仕掛けを用意することはせず、ただ本店であの時と同じ「鯛めし」を注文した。あの店でのひとときが甦るような味わいの中、彼女と再び静かな夜を過ごした。
そして私は、再び時計の針を彼女の誕生日の時間に合わせた。動かぬはずの時計が、その瞬間だけはまるで再び息を吹き返したかのように感じられた。その止まった時間には、彼女との変わらぬ思い出が静かに息づいている。時計が動かなくても、私たちの心に刻まれた時は色褪せることなく、むしろ時を超えて輝きを増しているかのようだ。
2024/10/11 更新
2024/10 訪問
ほどよいわがままから生まれたカツカレー
「わがまま」というものは料理屋でのお客と店主との関係に微妙に現れるものだ。常連客ともなれば、その店の料理に詳しくなるだけでなく、店主とのやり取りにも慣れ、時には少し大胆な注文をしたくなることもある。手持ちの食材にないパスタを頼んだり、忙しい時間帯に出汁巻きのような手間のかかる料理をお願いしたりと、つい無理な「わがまま」を言いそうになることがあるのだ。
だが無理を言わないこともまた、重要なポイントだ。店の状況を見極め、手持ちの食材で対応できる範囲でのリクエストなら、それは「ほどよいわがまま」として許容され、むしろ店主との信頼関係を深めるきっかけにもなる。
例えば、この店では、常連の一人が「牛スジカレーにとんかつをトッピングできないか?」とふと口にした。それを受け入れた店主は、その「ほどよいわがまま」をきっかけにカツカレーをメニューに加えたのだ。それまではスパイシーな海老カレーが人気だったが、カツカレーが登場してからというもの、男性客の注文は一気にカツカレーに傾いた。お客と店主のこうした小さなやり取りが、新たな人気メニューを生むのだから、「ほどよいわがまま」は決して軽視できない。
2024/10/09 更新
2024/10 訪問
縁を紡ぎ、和を味わう ~ 接待という文化
この店は、接待の場としてしばしば利用されている。私自身も、ここで接待を受けたこともあれば、逆に接待をしたこともある。ビジネスの世界における接待とは、ただのもてなし以上に、相手との信頼関係を築き上げるための重要な儀式だ。互いに限られた時間を共有し、会話や身のこなしを通じて深まる信頼――それは一時的な取引の道具ではない。
接待の本質を考えると、それは仏教における「和」の精神、すなわち調和を重んじる心に通じている。相手に敬意を払い、心を込めて応対することで、お互いの間に新たな「縁」が生まれ、その縁が長きにわたり結ばれる。単なる契約や取引を超えて、相手との絆が深まり、共に成長するためのものなのだ。
この店は、まさにそのような縁を紡ぎ出す特別な場を提供してくれている。静かでありながらも温かみのある空間、そして品のある料理が、接待という行為に一層の深みを与え、相手との関係をより豊かなものにしてくれる。ここで過ごすひとときは、ビジネスの枠を超え、心の交流として記憶に残るに違いない。
いつも3品目に登場する「お造りの盛り合わせ」。冷たい先付、温かい先付は、幾つかの素材を組み合わせ、その味わいに微細な工夫が凝らされているが、ことお造りに関しては、余計な思考を必要とせず、ただ純粋に「美味しさ」を感じさせてくれる。特に、ほぼ毎回盛り込まれる蛸のあぶりは、この店の名物だ。アラカルトの時代には、この蛸のあぶりだけを注文する客も居たにはいたが、予想以上の値段になったであろうことは想像に難くない。
いつもの中川自然坊さんの俎板皿だけではなく、他のお皿も登場する。そのお皿もまた、季節感や料理に合わせて選ばれ、料理との絶妙な調和を見せる。器の変化は、料理だけではなく、視覚的な楽しさも添えてくれるのだ。
お造りが持つ「シンプルさの中の深い美味しさ」、そしてそれを引き立てる皿の存在が、この店の奥深さを一層感じさせる要素であり、訪れるたびに新たな発見をもたらしてくれる。このような繊細な配慮が、この店の真髄を物語っているのである。
2024/10/03 更新
2024/09 訪問
時を刻む常連たちと進化するお造り―店が織りなす静かな時間
常連が多く集うこの店には、私を含め定期的に予約を入れている人たちが少なからず存在する。毎週火曜日や隔週金曜日といった具合に、帯で予約している者も多いのだ。私もそんな一人として、決まった曜日に訪れることが常となっている。興味深いことに、曜日が指定されているためか、他の常連と顔を合わせることはそれほど多くはない。
それでも、ふと別の曜日に足を運ぶと、顔見知りに会うことは珍しくない。もっとも「初めまして」というようなことはないが、「お久しぶりです」といった挨拶が飛び交うことが少なくないのだ。この店の常連たちがそれぞれに織りなす小さなコミュニティ。その中で、私は静かに存在感を保っている。
そして、この店での楽しみの一つが、四季折々に変化する「お造りの盛り合わせ」である。そのスタイルも時期によって異なり、かつては塩ものや山葵ものが二皿に分かれて提供されていた時期もあったが、最近では一皿にまとめられた一盛りが定番となっている。振り返ってみれば、ここでお造りを食べなかったことなど、アラカルトが主流だった頃のほんの数回しかないだろう。
さらに、このお造りが盛られる俎板皿には特別な意味がある。これは、陶芸家・中川自然坊さん晩年の作品群であり、この時期にしか見られない独特の色合いを持つ。時の流れとともに形を変え、進化してきたお造りのスタイルと、この俎板皿の重みが、店の奥深さを一層際立たせているのだ。時間の移ろいを感じさせながらも、決して期待を裏切らない――それが、この店における静かな魅力である。
2024/09/30 更新
2024/09 訪問
時の流れと共に変わる縁 〜出会いと味覚が織りなすお店の秘密
この店に通い続ける理由の一つが”不思議な安心感”である。確かに苦手なお客さんに出くわすことはあれど、決して「嫌だ」と感じることはない。むしろまた会いたいと思えるような、心に残る客との出会いがあるのだ。それは料理やお酒の魅力を超え、趣味や興味の話題を適度な距離感で交わす時間が、何とも心地よいのだ。映画『ユー・ガット・メール』ではないが、偶然この場所で再会するという妙な縁を感じることも。
コース料理になってから、まずは冷たい先付で口を整え、その後に出される温かい先付が、いつも心を惹きつける。中でも茶碗蒸しは、季節ごとにそのベースが変わり、旬の素材で彩られている。そして、その上にかけられる餡はその時々にあわせて変えられており、その絶妙な組み合わせが一品としての完成度を高めている。まるで、時の流れに沿って変化する店と客との関係のように、毎回新たな驚きと喜びを提供してくれるのだ。この店で過ごす時間は、ただの食事以上に、人生の一部を感じさせるものなのかもしれない。
2024/09/26 更新
2024/09 訪問
変わらぬ味と時折の待ち時間
開業して17年だろうか?中津・豊崎の界隈では、もはや老舗と呼ばれる存在となっている。味はいつも安定していて、まさに私の好みだ。何度か通ううちに、好きなものや苦手なものにまで配慮してメニューを構成してくれる、その細やかさには感心するばかりである。定番メニューも不定期ではあるが更新され、訪れるたびに新しい発見があるのだから、通う価値があると言えるだろう。
ただ、一つだけ残念な点を挙げるとすれば、ホールのスタッフがいない時に、お酒の提供に時間がかかることだろうか。サービス面での改善は期待したいところだが、この店の良さが大きく損なわれるわけではない。
一枚目の写真は、初回か久しぶりに来店された方用の冷たい先付の旨出汁ゼリー 雲丹イクラのせ
。二枚目の写真は間を開けずに来店された方向けの冷たい先付のお寿司。
これらの料理には、時間の経過とともに店の進化を感じさせる不思議な力がある。
2024/09/20 更新
この店にはビール、ワイン、焼酎といった多種多様なお酒が揃っているが、不思議なことに日本酒だけは店主の「おまかせ」で提供されるという興味深い仕組みが存在している。この一見シンプルな「おまかせ」スタイルには、実は奥深い理由が隠されているのだろう。
店主は、客一人ひとりの好みや、注文された料理の内容、その日の気候や空気の流れまでをじっくりと観察し、最適な日本酒を探し出すという。まるで、こちらの心を見透かすようにして差し出されるその酒は、常に意外性に満ち、予測を超えるものばかりだ。私も、二種類の酒を頼むのが常だが、そのたびに新たな発見があり、驚きがある。そして、店主の選ぶ酒には、私が好むものばかりでなく、苦手なものが一切含まれていない点も見逃せない魅力である。こうした巧妙な「おまかせ」の背後には、長年の経験に裏打ちされた店主の洞察と、客の期待を裏切らない工夫が感じられる。
結局のところ、「日本酒はおまかせに限る」というのは、自分の選択に囚われず、店主の感性に身を委ねることで、日常では味わえない一杯に出会う、稀有な体験を手にしているからなのだ。